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あの、ピアノのメロディが聞こえてきます。
大変お疲れさまでした、ご冥福をお祈りいたします。
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石井ふく子プロデューサー、泉ピン子さんのコメントです。

石井ふく子プロデューサー
橋田さんとは60年のお付き合いです。年中喧嘩したり、相談したり、家族のように付き合ってきました。一日電話しないと「どうしたの?」と心配されることもありました。思い出がありすぎて何も言えません。こんなに急だなんて悔しくて、なんと言っていいかわかりません。「あなた一人でどこに行ったのよ」という思いでいっぱいです。橋田さんは現在のコロナ禍の状況を見て、そこで感じた家族の形を書きたいとおっしゃっていました。同時に「私はいつも一人だと思っていたけれど、あなたたちがそばにいてくれたのね」とおっしゃって。私は「今更、なにを言ってるのよ」と返しましたけれど。お互いに元気でいようねって話していたところでした。今、私の隣りに笑って私を見ている遺影があります。まだ、橋田さんがこの世からいなくなったなんて考えられません。

泉ピン子さん
昨日意識がなくなったとき、「ママ」って呼ぶ私の声が聞こえたのか、最後に目を見開いたんです。それが最後でした。クルーズ旅行に行くとき、お正月に着ていたお気に入りのドレスと、橋田文化財団を設立したときに作った松竹梅の思い出のドレスを着せて、私がお化粧をしてあげて、旅立ちました。橋田さんは「悲しまなくていい。千の風になっているんだから。あなたの周りにいるから」といつも言っていました。「でも、私が先に逝くとは限らないけど」と茶目っ気たっぷりで付け加えたりして。ですから最後は「千の風になって」をかけて送りました。今の私があるのは橋田先生のおかげです。舞台もドラマもやらせてもらいました。ずいぶん喧嘩もしたし、泣いたこともあったけれど、橋田さんとご主人には本当の娘のようにかわいがっていただきました。私も熱海で暮らすようになって、最後はずっとそばにいられたから熱海に越してきた意味があったと思います。

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個人的には、2014年当時のNEWS23アンカーだった岸井成格さんが「橋田賞」を受賞した際、おともした受賞式で、お話をうかがう機会を得ました。

重層な脚本のイメージが強かったのですが、橋田先生から発せられた言葉は、とてもシンプルかつピュアでした。そうした中で「戦争の記憶と悲惨さ」を伝える報道に取り組んで欲しいといったお話があったことを覚えています。
ご冥福をお祈りします。

ちなみに「急性リンパ腫」という病名を医師が使うことはなく、「悪性リンパ腫」もしくは「急性リンパ性白血病」だと思うのですが、その点が気になってしまいました。
小学校のころ、母が好きだったので「渡る世間」はすべてのシーズン、毎日見ていました。
社会というものの理不尽さや、そこで生きていかなくてはいけないという人生そのものを少しだけ学べた気がします。

ご冥福をお祈りいたします。
通称TBS。テレビ・ラジオの放送関連事業を中核に、映像・文化事業、不動産事業等を子会社で展開する持株会社。雑貨小売や化粧品製造販売、外食・洋菓子製造販売等も手掛ける。新聞会社との資本関係なし。
時価総額
7,089 億円

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