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建築学的な視点と環境的な視点、経済の視点でいろいろと象徴的なプロジェクト。個人的には建て替えはしょうがないと思う反面、建築の耐用年数と技術や経済の変化率の乖離が指数関数的に大きくなる現状で、一建築家として悶々とするところでもある。

文中にもあるように大きな社会的論争の的になったプロジェクトで、現状のプロポーションも本来あるべき姿から頭部を1/4ほど削り取った妥協の結果。戦後最上層が焼失したまま使われ続けていた東京駅舎が、最近当初の上層部まで復元した形で再生されたのと比較しても感慨深いものがある。

建築史視点での歴史的価値はもちろん重要だけど、同時に当時とは設備や構造、動線計画などのスタンダードが大きく変わった現在、当時の構造体のままではどう改修しようと現在のスタンダードでの価値化は難しいというのもおそらくはその通りで、現行法規下で新築すればおそらく相当の床面積を増やせる中、事業者目線で保存改修は現実的ではないと思わざるを得ない。

建築業界は保存運動を、評価軸が建築業界内に閉じた歴史的価値や美観という論点ばかり押し通すのではなく(それも大事なのは前提として)、丁寧な改修によるより広域の価値付加や評価の手法を明確にし、仮に既存躯体を再利用した場合の改修のバリエーションやそのLCC比較、リモートや職住の離散的混在のあたらしい流れ、エコや脱炭素といった新しい価値視点からの積極的な社会貢献価値がどれだけ生じ得るのか、そうした新旧ハイブリッドの社会的価値や文化的価値にはどのような新しい軸が生じるのかといった、これからの複合的な価値軸の提示を、積極的に行う姿勢を見せるべき。ともすると保存原理主義的になりがちな保存改修の流れを、より積極的な、新しい時代に適合する価値創造の選択肢の提示とすることこそが、むしろ建築界の投資領域であり役割。

さらにそこには新しいデジタルプラットフォームの活用を組み込む可能性はたくさんあって、コロナによるメガプレート至上主義の終焉と併せ、むしろレトロフィットのほうが価値を生みやすくなる可能性も十分にある。例えば大手町初の職住混在型タワーとか見てみたい。ニューヨークで実務をしていた時にも、新築と同程度の予算をかけて古いビルをオフィスに全改修する攻めの改修事例を多く見てきたが、東京だって十分に可能なはず。むしろ今なら価値化の選択肢はより多い。
前川国男さんは都市に公共スペースをつくるために高層ビルを提案した。今は高層ビルを建てるために公共スペースを確保している。この目的と手段の逆転が形だけのポケットパークを無数につくる結果になってしまっています。
通常建築は敷地内だけで全てを解決することが前提とされていますが、もっと都市的な視点で議論できる規制緩和に加えてデベロッパーの「床の呪縛」から逃れるビジネスモデルの確立が急務だと思います。
天皇制と相いれない学生運動が世間で未だ激しく、連合赤軍があさま山荘事件を引き起こすに至った当時のこととて「皇居を見下ろすのは不敬」という議論は良く覚えています。珍しかったとはいえ “超高層ビル”は既に幾つが建っていて、それぞれが所在地のシンボルになっていたので「美観を害する」というのは付け足しで、反対論はもっぱら皇居を見下ろす問題に集中していたように感じます。直ぐ近くに東京本社ビルを持つ会社に竣工間際に就職し、その後、訪れることも多かっただけに、ちょっとした喪失感を感じそう (・。・)シミジミ
皇居前の赤レンガビル…解体されるのですか?

某年の10月4日が雨天であれば、東京海上に入社していたはずでした。

私の人生の分岐点のひとつでしたね。
1990年代初頭、外資に移った直後に勤務したのが東京海上ビルの新館で、赤煉瓦の海上ビルは毎日窓から見える風景の一部でした。
その後2011年に社外取締役を務めていた会社が新丸ビルにあり、東日本大震災発生当時、東京海上ビルははっきりとした格子柄のビルで、ゆっくりと揺らぐ様子が良く見えた記憶があります。
丸の内では、郵船ビルと並ぶランドマークの一つでもあり、後に建つビルには、往時の雰囲気を残した素材やデザインを採用していただきたい気持ちがあります。
美観論争・皇居論争から半世紀。前川国男さんが問うたものを、問い直す。こわして、つくろう。コロナ後、東京の玄関につくるものは、何か。
「経済的合理性をとる再開発」か?
「歴史的価値をとる保存」か?

わたしは完全な再開発には反対で、折衷案がいいと思います(広場と建物の空間構成だけ残す、現ファサードをオマージュしたデザインとする、解体した材料を再利用するなど、可能性は無限大!)。

耐震性とかいうのは建前で、費用はかかれども解決可能な問題だと思います。
「計算可能で目に見える経済的価値」と「定量的に評価できない文化的価値」との対立が本質ではないでしょうか?
目先のお金を重視して建築の文化的価値を軽視すれば、再開発するという判断になります。

これが貧しい国でなら目先の経済最優先にも頷けますが、日本でならお金をかけて文化を伝えることにも価値を見出だせるはずです。
また、その価値に関して専門家でもある建築家の意見がノスタルジーと揶揄され、議論が本質的に発展しないのも問題だと思います(私は建築家ではありません)。

(追記)
パリのポンピドゥーセンターを数年かけて修復するという先日のニュースを思い出しました。この修復を経て、ポンピドゥーセンターの価値はさらに高まります。羨ましいです。
そうですか、解体ですか。
しばらく新丸ビルの高層階で仕事したことありましたが、最初に皇居を見下ろす眺めにびっくり。
いいのかこの視点で見下ろしてと(苦笑)
私は、昭和教育バリバリでしょうか(笑)
隣の東京海上ビルが低いのはそういう理由だったんですね!
あの丸の内周辺で比較的安い地下のレストラン街にはお世話になりました。
また、あのビルのある場所の広場は印象的です。
景観を理由にするんだったら、武家屋敷に戻すべきでは?
最近都内では建て替えが多いですね。建て替えが決まったオフィスは短期間ながら非常に安価に借りられるので、人数が急激に増えるベンチャーやスタートアップでは重宝しそうです。