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教育の地域間格差、わかります。ただ、地方ということばも、大学ということばも、ひとくくりにはできないくらい幅があって、変数がとても多い言葉だということを前提にして読まないと、「ああやっぱり地方はこうなのね」とうけとってしまう方が増えてしまうのではないかと危惧します。例えば自分が地方出身だと語る人の中には、3000人の自治体の人も、10万人の自治体の人もいます。大学とはいえ、この方のように京都大学で出会った人と原風景とする人もいれば、都市部に来たとしてもキャリアに関する意識なんて一つも持たずにしょうがなくそこに入学した人が集まった大学もあります。
このストーリーは、題名に「僕は」としてあるものの、あくまでこの方のストーリーであり、一般化して捉えきらないことをおすすめします。
学ぶことは人生で戦うための武器を手に入れることだと思う。
だから常にアップデートしていかなければならない。
学び続けなければ戦えない。
レールに乗ったり降りたりする?ちょっと意味が分からないなぁ。
人が作ったレールに乗るために学ぶわけじゃない。
一見教育格差について語っているようでなにも語っていない。
単に自分の思い違いというだけ。

地方だろうがどこだろうが、人生すごろくを生きるタイプとそうじゃないタイプはいる。なんだこいつらと思ったとしても、ちゃんと視野を広げれば、自分より自由に生きている奴はいくらでもいる。どこにでも。
「日々生きている環境から、人は「自分の選択肢の可能性」を受け取っていく」はその通りだと思います。が、筆者の九月さんが高校生だった時に比べて、一層ネットとスマホが普及してる今は、受け取れる選択肢に関する情報の地域間格差はかなり小さくなってるんじゃないでしょうか。

ちなみに、このエッセイを書いた九月さんも知人ですが、京大の友人・知人には人生ガチャガチャの人たくさんいます(笑)地方出身でも都会出身でも関係なく、スゴロクじゃない生き方を好む人は、どこにいようとそういう生き方をしてる気が。
「ライフコースの解像度」。それは高みに挑戦しなければ上がらない。おいしいものを食べないとマズいものとの比較ができないように。
ただし、解像度を上げることが幸せかどうかわかりません。モザイクが粗いほうが楽しかったりする。
こうした吐露は敗戦記となることが普通だけど、解像度を上げてからなお、芸人というもっと高い解像度を要する道に挑戦する人なので、語りに余裕を感じる。
都市部に生まれたからと言って解像度が高いとは限らない。地域というよりも周囲の人間の文化・社会的資本の多寡が影響してそう。
話がズレますが金融・文化・社会的資本を持つものはノブレス・オブリージュを果たさないといけませんね、最近忘れられがちですが。
地方出身者です。教育格差や子供のときに知ることのできる人生の選択肢の幅には大きな格差があると思います。

あと教育者がもってる情報にも格差があると思うので、そこも教育の格差だと思います。