「頭のいい人」とそうでもない人の決定的な差
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情報処理という観点での賢さは、インプットされる情報をアウトプットするためにしまうことができることではないかと思っています。
その過程は、この記事に解説されているようにインプット情報の幹、既にしまっている情報との共通点、差異点を見つけ情報要素に分解してしまう(記憶)ことで、これは効果的な方法だと思います。
また、その前処理として抽象化することとその方法例も紹介されています。個人的にはインプット情報を既にしまわれている(記憶されている)情報要素を使って例えてみると良いと思います。例えられる要素があれば共通点、なければ新たな情報要素を獲得できた(学びがあった)ということです。
またこの抽象化と情報要素への分解プロセスがアウトプットするためのテンプレートになるわけですね。簡潔にまとめられた記事ですね。
注目のコメント
「頭のいい、悪い」という表現の仕方は学校教育の価値観の延長のようで違和感がありますが、頭がよい=自分軸を持っている人、自分の言葉で考え・表現できる人、という意味においてはこの記事に共感しました。
私が尊敬する、すごく自分を持っている人は「僕は全然本を読まない。ぼーっとする時間を必ず持つようにしてる。」と言っていました。その人に相談すると、よく「その課題を一言で言うと何なの?」とよく言われます。物事の本質を掴むクセが付いている方なんだなーと。
一方、自分軸がなく色々な物事に反応ばかりしている人たちが共通して「趣味は読書!」と言っていたりして、インプットが多ければ多いほど良いわけじゃないんだなー、と感じたこともあります。
自分の頭で考え、自分の軸で感じて、自分の言葉で表現出来ること、
大切ですよね。情報を集めていくと、いろんな関係性が見えてくる。類似であったり、対比であったり、因果関係であったり。で、新たな仮説が生まれ、また色んな情報がその仮説を補強したり、あるいは反証となったり、などなど。
情報を集めてきちんと見ているか、集めるだけできちんと見ていないかの差でしかないと思うけどね。