「頭のいい人」とそうでもない人の決定的な差
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メモ
>自分が大事だと感じることに、正しいも間違っているもないのです。正解などありません。その人自身が、大事だ、興味深いと思うことをピックアップすればいいのです。それによって、その人ならではの思考法が育ってくるのですから。言い換えると、そこはむしろ、独自性があったほうがいいのです。
>1つのニュースや情報に接したときに、どの側面に着目するかは、人によってそれぞれですし、これにも、どの側面が正解というものはありません。ただし、多様な側面に注目するクセをつけることは、よりいい考え方を身につけていくうえで重要なことでしょう。人とは違う考え方をして、新しい方向性を打ち出すには、やはり人とは違う着眼点を持つことは大事なことだからです。
> 情報を抽象化していく、次の大切なステップは、一見異なるように見えるものから、共通点を探し出すクセをつけることです。ベストは、幹の部分について、どこか共通な点がないか探し出せるようになることでしょう。
> 情報を抽象化して理解するステップとしては、逆の頭の使い方もあります。それは、似たものに違う点を見つけ出すことです。つまり、似ているように見えるけれども本質は違っているのではないか、同じ現象のはずなのに、このあたりで違うのはなぜだろうと、思考をめぐらすことで、抽象化のクセをつけていくやり方です。
注目のコメント
「頭のいい、悪い」という表現の仕方は学校教育の価値観の延長のようで違和感がありますが、頭がよい=自分軸を持っている人、自分の言葉で考え・表現できる人、という意味においてはこの記事に共感しました。
私が尊敬する、すごく自分を持っている人は「僕は全然本を読まない。ぼーっとする時間を必ず持つようにしてる。」と言っていました。その人に相談すると、よく「その課題を一言で言うと何なの?」とよく言われます。物事の本質を掴むクセが付いている方なんだなーと。
一方、自分軸がなく色々な物事に反応ばかりしている人たちが共通して「趣味は読書!」と言っていたりして、インプットが多ければ多いほど良いわけじゃないんだなー、と感じたこともあります。
自分の頭で考え、自分の軸で感じて、自分の言葉で表現出来ること、
大切ですよね。情報を集めていくと、いろんな関係性が見えてくる。類似であったり、対比であったり、因果関係であったり。で、新たな仮説が生まれ、また色んな情報がその仮説を補強したり、あるいは反証となったり、などなど。
情報を集めてきちんと見ているか、集めるだけできちんと見ていないかの差でしかないと思うけどね。