愛知の聖火リレーで男性限定区間 舟「女人禁制」理由も批判の声
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Equality (平等) と Equity (公正) が神事という場ではどう解釈すべきなのかという難しい議論に思いました。平等は全ての人に全く同じ機会を与えること、この場合は女性も男性も同じように舟にのるということ。公正は機会はそれぞれの人の状況に応じて異なる待遇をすることで、最終的に得られる結果を同じにするということ。この場合における最終結果は、神事を行うことで得られる「地域のご利益」なのでしょうか。
そもそも論として、五輪に関わるということは、世界の人から着目されるということが分かっているはずで、その上で国際的なジェンダー価値観を持つ人からどういう批判がありうるのか、と考える想像力や国際感覚がこの愛知県実行委員の人に欠けていて、ナイーブ過ぎたことが大きな問題かと思います。
記事の中の慶応大学教授の下記コメントが的を得ているかと。
「そもそも神事舟をなぜ聖火リレーで使うのか疑問。祭りとイベントを分けて考えるべきだ」(本文より)
注目のコメント
ダイバーシティの本質って、それによって差別したり優劣を決めたりしないことのはずで、こういった伝統やしきたりにまで「平等」を押し付けるのって、趣旨が違うと思うんですよね。
どちらかというと、そういうものを聖火リレーの一部に組み込んだのが失敗では?という気がする。
この舟が女人禁制なこと自体は別にいいのでは?
そういう伝統は幾らでもありますし。
ダイバーシティの名の元なら伝統の何もかも否定して良いわけではないですし、
「それでも我々はこの伝統を継いでいく」という選択も尊重されるべきでしょう。
それを否定したら宝塚歌劇団や歌舞伎も再構築しなくては行けないですが、そんなことしても誰も幸せにならない。