いま思い出す「電力とハンバーガーを同列に語るな」 ―電力自由化の意義と課題ー
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note書きました。
先日のテキサス州の大停電と電力価格高騰を取り上げたポール・クルーグマン氏が「電力システムとアボカドを同じように扱ったシステム改革」とテキサスの自由化を評していたのを見て、どこかで聞いた表現だなと思いだしたのが、2001年か02年当時の日本の自由化について議論する政府委員会でのこと。
当時流行っていた平日半額や100円マッ〇を例に、市場原理のメリットを強調した方に対して、別の委員の方が「電力とハンバーガーを同列に語ってはいけない」とピシャリと仰ったことがちょっとした話題になりました。
テキサスでは、5日間の電気代が170万円になるといった家庭も出て、電気代で自己破産という事態も発生しているようです。こういう状況でもなお「テキサスの電力システムは耐えた」と評価している有識者もおられるようですが、やはり、電力とハンバーガーやらアボカドやらを同列に語ってはいけない訳で、改めて電力システム改革については議論すべきことが多いと私は思います。財の分類と供給能力ですね。
電力はコモディティなのか?値段だけ見ればそうかもしれませんが、必要不可欠な必需財を疑似マーケットで売買することは既に日本やテキサスで仕組みとして破綻しています。
市場の厚みと取引の速さというメカニズムデザインで言及される要因を検証して、供給側が寡占している市場でのレッセフェールが危険であることを認識したい。
ハンバーガーも牛肉メタン問題も有るので、供給は絞られますね。
つまり供給が需要を生み出すというセイの法則は、最早成り立たないことの方が着目すべき変化かと。供給出来ないのにマーケットがあることの不自然さに気づくべき。
それをグリーンなんとかで共同幻想を夢見ているのが今なのかと。買わなければ変わらないことを消費者の最終兵器として持ちあわせたいが、法人が買い上げてサービス提供すると利用してしまうんですよね。。支払いのタイミングや品質の定義など、ハンバーガーやアボカドと電力では天秤にかからないですね。
電力は、究極的には地方の戸建てにソーラー+蓄電池になる気がします。脱炭素が進むほど停電リスクが高まり価格変動が大きくなるならば、できるだけ自給自足を目指した方が良さそうです。