「きれいな資料」で報告する部下を、上司が褒めてはいけない「意外な理由」
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論点が明確で、報告された側が判断・評価しやすい状態になってる必要はあると思います。
報告される側は忙しい場合が多いので、汚くて何言ってるのか分からない資料は聞いてさえくれないので。
注目のコメント
「きれいな資料」が生むデメリットは非常によく理解できます。
業務上、報告をすることも、されることもある(私のような)中間管理職のような立場にいると、自分の部下には「資料作りに時間かけなくていいよ」と言い、自分が上司に報告する時には見やすく分かりやすく、ある程度時間をかけて資料を作っている、という矛盾があったりします。
報告を受ける上司のスタイルや求めている報告レベルが変わらないと、なかなかこの関係性は脱却できないですよね。「あるある」ですね。以前に勤めていた会社での話ですが、本社CMOに対しUpdateミーティングを行う機会があり、日本の活動状況や今後のプラン、本社のサポートが必要なことについてシンプルに分かりやすく伝えるのが肝心と、5ページ(+Appendix)に絞ったところ、リージョンのマーケティングヘッドに大目玉をくらいました。先行してアップデートミーティングを行った他国のマーケティングチームは、広告代理店を入れて100ページ以上の壮大なプレゼン資料をまとめ上げ、その中にはそのミーティングのためだけに作られた特別な動画が3本組み込まれていたとのこと(CMOは実際のところ、そんな資料は求めていなかったそうですが...)。それと同じレベルの完成度(?)を求められて絶句しました。その時間と労力を費やすべき相手が違うのでは...と。
幸い今の職場ではそういうことは全くありません。大事なことは資料のきれいさより理解のきれいさだということでしょう。
1. 何に答えようとしているのか
2. 目の前のデータから得られた結論は?
3. 次にすることはなにか
不確実性の存在を前提に、上記3つに的を絞って知見共有するための「きれいさ」は大変重要だと思います。