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「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来

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  • Cognex K.K. Sr. Manager, Product Marketing, Global Solutions

    コンテンツを楽しんむ事が目的ではなく、内容を把握し人と話せることに価値を見いだしているから、こうなるのだろう。

    仕事に直結していて数をこなす必要があるのならともかく、素人が娯楽として楽しむ分には、星の数ほどある世のコンテンツすべてをこなそうとする必要はない。オタクになりたいなら、薄っぺらいオタクが出来上がることだろう。ストーリーを知るだけなら別な方法もあるのに、あえて観る理由は何か。こんな見方でもコンテンツを観る時間があるなら、もっと有意義な他のことをしたらいいんじゃないかね。


注目のコメント

  • 東京大学情報学環教授 「妄想する頭思考する手」

    映画を倍速で観るのがだめなら、音楽ならさらにまずいだろうと思ってちょっと実験したら、これが驚くほどよいのですね。たとえばフルトヴェングラーの歴史的なベートーヴェン演奏(バイロイトの第9)を1.25倍で鑑賞すると、フルトヴェングラーの重厚さを保ちながら現代的なテンポ感をも聞き取ることができます(このとき、私はフルトヴェングラーを「消費」しているのだろうか?)

    ピアニスト グレン・グールドの2回目のバッハ「ゴルトベルク変奏曲」(1981年録音)は、有名な1955年版と比べて演奏テンポが極めて遅いのですが、これを1.25倍速で聴くと、繊細な表現と1955年版に匹敵する溌剌としたスピード感が同居して、グールドのゴルトベルク演奏としては「ベスト」と言いたくなる感じです.. 人工的に作り出されたテンポであるにも関わらず。

    遠隔講義のため、講義ビデオをネット上に置くことがふえましたが、履修生には「好きな速度で再生して構いません」と言っています。

    Googleは、まさにこの記事が懸念しているような「大事でなさそうなところを早回しする」をAIで自動化する技術を開発しています: https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2103/17/news052.html

    一方、YouTubeのエクササイズビデオを見て真似る場合、たとえば「ラジオ体操」などは逆に0.5倍速で再生してぎっちりやってみるとめちゃめちゃ鍛錬になります。

    という感じで、速度を変えてメディアを視聴するということはむしろ大きな可能性を持っていると思います。

    作家は読者がページをめくる速度までは指定しないように、未来のメディアでは再生速度の考え方も変わってくるかもしれません。

    音楽再生の速度を変えて鑑賞する可能性についてはこちらに例を挙げています:
    https://rkmt.medium.com/%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%86%8D%E7%94%9F%E9%80%9F%E5%BA%A6%E3%82%92%E5%A4%89%E3%81%88%E3%82%8B%E5%8F%AF%E8%83%BD%E6%80%A7-d443b66b963e


  • 「コンテンツ」という言葉について考えさせられます。できるだけ時間と労力をかけさせずに今この瞬間、求められている「解」や「快」を不特定多数あるいは特定された一定数のオーディエンスに効率良く届けるために最適化された映像、静止画、文字情報、音もしくはそれらの組み合わせを指すものなのか。

    そういった意味では、日本のYouTubeで馴染み深い、冗長な部分を不自然な位に極限までカットし、音声にピタリ合わせたフルテロップを隅から隅まで入れるという手法も「コンテンツ」としての目的を達成する上で理にかなっているのかもしれません。

    対して「作品」というのはその最終的なアウトプットが映像や静止画、文字、音声、あるいはパフォーマンスであったり、それらの組合せであれ、受け手の側にも創り手の側にも余白・余裕・ムダがなければ成立・生まれ得ないのではないかとも考えます。

    しかしながら、その「余白、余裕、無駄」のもたらす功罪への気付き・面白さに対して向き合い、自問自答・右往左往する人達の母数が増えていく、自身も含めて。それが「コンテンツ」のもたらし得る利点と考えれば、「映画を早送りで観られる」人が増えている現象自体にポジティブな側面もあると思います。


  • 株式会社アトラク 代表取締役

    筆者の並々ならぬ熱意を感じました。

    正直私も倍速視聴や飛ばし見をする人に対して、
    「そんなに忙しいなら観なきゃいいのに…」と思ってしまう方です。

    そんな時短して観れるようなものは多分その人にとって価値は無いのではないでしょうか?
    例えば25分25話ある作品を倍速で見たとしても5時間はかかります。
    話題についていくためだけにその5時間は価値があったのでしょうか。

    そもそも、本来作品というのは「話題に着いていくために観なくてはならないもの」ではありません。

    現代の「作品を消費する」という概念ですが、この概念は昔は無かったということは言うまでもなく、しかしながらこの変化が悪かと言うとそういうわけでは無いとも考えます。単位がどんどん小さくなっているのは時代の流れに沿っていて、おそらく大きくなったことは今まで無かったでしょう。
    音楽で言えばクラシックはまず10分以上の曲も何十分とある組曲もあり長かった。レコードの時代もアルバム一つが作品となっており長かった。CDになって少し1曲ずつの単位の感覚が増した。ストリーミングの時代になって完全に1曲単位が作品の主流になった。そして更にtiktok等で更に短尺で楽しむものに変わりつつある。
    10年後にはサビだけの曲が普通になるかもしれない。
    それは仕方が無い変化として受け入れていきたいと思います。

    ただし、やはり倍速視聴や飛ばし見をするぐらいなら、
    「見ない」のが一番コスパが良いはずです。
    コストかかってませんから。


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