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これ!まさに!私もずっと思っていることで、日本語で小論文が書けなければ、ましてや英語でなど到底無理。自分も日本で小論文の指導を受けた記憶がないので、アメリカの小学校で子供たちが「小論文の書き方」(現地校ですから英語です)を習っているのを見て目から鱗でした。

秋に日本の大学で教えることになっており、この点は基礎スキルとして指導に取り入れる予定です。
小論文は「積み重ねがどうしても出てしまう」というのは納得です。普段から色々思考すること無しに自分の文章は書けないですよね。反対に、書くべき思考を持っている人なら、基本的な書き方のルールさえ教えてもらえば、わりとサラッと書けるということ。学生でも1、2回の添削で見違えるような論文を書ける子と、何度直しても書けない子の違いはそういう所からくるのでしょうか。
「付け焼き刃でなんとかならない」からこそ小論文という試験がある,に深く共感する。
考えの組み立て方や 洞察力などを見るために、小論文が役に立つ。 一方で よいものを持っているのに 稚拙な論文になっているケースもある。 どう書くか,そのための準備も含め 教えることは 大切。
国語と小論文は種目が違うので当然といえば当然ですが、では国語ができなくても小論文が書けるのかというとそうではない。
だって…、筆者自ら本文中に、

小論文減点基準【ワースト第1位】問題文の指示に正しく答えていない

って書いちゃってるじゃないですか。
国語というのは、問題文に書かれていることを正しく理解しアウトプットする能力を問われている科目なんです。

本文中に「筆者の考えとして正しいものを選べ」という現代文あるある設問が例示されてますが、これは地の文に筆者の考えが明示されていることを前提に示される設問(もしそうでなければその設問は悪問)であり、明示されていることを理解できているかを確認するのが趣旨なんです。エスパーになって筆者の頭を覗けという話ではない。

なので、地の文なり問題文なり「そこに書かれていることを正しく理解できる能力」がなければそもそも小論文は書けません。

本筋の「日本の教育は自分の考えを述べる機会を与えてない」という主張にも「えっそうなの?」と思ってしまうのですが、自分だけでしょうか…(そういう機会、けっこうあったと思うけど……)
文章を書くことは技術であると考えます。
そして、国語は算数と対であり、抽象と具体のようなものだと捉えています。
国語で想像力を養う。登場人物の背景や人間関係などから第三者から見たその人の立場を考えたり。つまりこれだと言う絶対的な回答はないように思います。
算数は絶対的な数字に向き合い、確実な解を導く。

タイトル"「国語」で「文章力」が鍛えられない決定的な理由"は当然とも言えると思います。
小論文は、設問に対して、根拠を示して自分の意見を論じるもの。論理的に相手を説得することが求められ、独りよがりな思いだけを書いても誰も説得することはできず、それでは小論文として成立しない。学校教育の中でトレーニングの機会が増え、社会でもその能力を重視される仕組みが確立していくべき。
私の場合、文章を書くことは得意でしたが、浪人して小論文が受験科目にある大学も受けることを決めたので、予備校の小論文講座でマンツーマンで指導していただきました。
指導内容は美しい文章を書くための小手先テクニックではなく、なぜ私がいまこの文章を綴るのかという根源的なもの。
弟子入りした初日に課された課題は「愛について」綴ること。奥深く、本当に自分の人生を左右した一年でした。
大変でしょうねぇ、採点なさる方々は

あ、補習校小1年生の国語でやってましたよ、イロイロな種類の文章書いて発表するの、zoomで
体験と対話があれば鍛えられると思う。
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