東電に「運転禁止」命令へ 柏崎刈羽、核防護不備で規制委
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原子力規制委員会は「なめているのか!」と叫びたくなるほど怒っていると思います。こんなデタラメが行われていたというのは、私もいまだに信じられません。もしかすると、現場の士気が想像をはるかに超えて下がっていて、組織として制御できなくなっているのでは、と懸念します。ただ、それはさておき、この件に関しては厳罰に処するしかありません。世界の情勢は時事刻々と変わっていることもあり、柏崎刈羽の再稼働はもう無理なのかも知れません。
【リスクに見合ったビジネス?】
原発は発電コストが安いと言われている。
一方で、原発事故の賠償額は10兆円かかっている。
ビジネスとしてやるべきなのか。
リスクヘッジをどうするのか。
世界を滅ぼしかねないモノを扱っていくなら、
極限までリスクを減らした管理運営体制が必要。
でも、国でも責任取れない、アンコントローラブルなモノをどう扱っていくのが最適なのかな。
ビジネスにしない方がいいのかも。またなのか?とおもった方たちが多かった記事だろう。どうしてこんなことが起こるのだ、おごり?ちょっと違う気がする。社員それぞれのゆるみ?時に上のほうに行くほど責任も大きいので、しっかりしなくてはいけないのだが、そこへ上がっていくプロセスが、30年前までは経済成長していた間にゆるゆるになっていたせいなのかもしれないね。
日本の組織にはいくつか変なところがある。年功序列とか、新卒で採用とか、同じところで途中で転職しにくいとか、ちょっと考えてみればおかしなことが結構あるのだ。でも、それが1970-1990年の経済成長で当然だ、と勝手に思っていたのだろうし、退職金でヨコ、結果としてヨコに動きにくくしたとか、それを背景とした政策にもなっていったのだろうね。
しかし電気という生活のトップにある大基本が独占企業にしてきたのがやはり「独占は必ず腐る」を証明しているのだし、電気という利権が産官学でばっちりできてしまったところにもにもある。
経済でもそうなのだが調子のよい時にこそ、組織の中で「異論を言う人」は大事なのだ。ようやく企業でも社外取締役を配置し始めた。
どうして今までいなかったのか?企業も困ったときは「お役所へ」だったのだろうね。
バブルが日締めてもう20数年、実際日本のGDPはこの30年ほとんど増えていない。冷戦の枠組みが終わりインターネットが広がったときからのグローバル化にまったく対応できなかったのだ。今頃にDX?なにかおかしいよ。それは25‐30年前の話。企業も政府も教育も、このグローバル化けの波なに乗り遅れた。それはそれまでの経済での大成功があったからなのだろうね。
しっかり世界を見据えて、組織でも、政府でも、政治でも、より責任ある立場の人たち、しっかりしてくださいね、お願いしますよ。