毎週水曜を待つ「文春国会」の様相に
コメント
注目のコメント
「2016年の週刊文春」(柳澤健・著)には文春ジャーナリズムの矜持が描かれています。この本はデジタル化に成功した唯一の週刊誌の英雄譚として読まれることが多いようですが、私はジャーナリズムにこだわり苦難の道をあえて選んだ文春の心意気に感動しました。他の週刊誌が取材コストと訴訟リスクを恐れて次々とスクープ路線から撤退、ヘアヌードや老人セックスで生き残りを図る中、文春は愚直にスクープを追い続けました。その結果として、実力派のジャーナリストも告発の情報もすべて文春に集まるようになり、スクープがさらに信頼を生み出すすという、うらやましい好循環をつくり出しました。本当にあっぱれです。
新聞もNHKも民放ももっと頑張らないといけません。猛省し自己錬磨し、社会から信頼されることが何より求められます。それと、ここまで政権と対峙すると、政権は文春潰しを画策する可能性もあります。もしそのような事態が少しでも見えたら、メディアは団結しなければならないと強く思います。ジャーナリズム(笑)とやらの文春の取材力とやらで、人生が左右されてしまった方がいることを顧問殿はどうお考えなのでしょうか?
(転載)
https://newspicks.com/news/2193730
多くの人が忘れてしまったんだろうけど、数年前に将棋の三浦九段のソフト使用疑惑を文春がスクープして、結局白だと分かったことがあった。そのときの新谷編集長の言葉は、
「あれについては、我々は「疑わしい」と報じたのであって、「不正をした」と断定したわけではありません。また、本当に「白」なのかどうかは別問題だと思います」
というコメントをNP上で出されました。
この疑惑の結果、三浦九段は竜王への挑戦権を持っていたにも拘らず挑戦権を他の人に譲ることになります。数人の理事は解任され、谷川会長も辞任します。
多くの人の人生に傷をつけたのにも拘らず、謝罪もなく「我々は疑わしい、と言っただけ」と開き直る編集長が率いる雑誌を、なぜこんなにも「スクープだ!取材力だ!」と珍重するのか私には理解できません。その価値は、せいぜい中吊りタイトルをみて面白い大喜利を考える、くらいのもんでしょう。某新聞の顧問のには申し訳ないですが、もう日本の新聞、民放のメディアにジャーナリズムを期待していない。
もし期待して欲しいなら、ご自身の新聞業界の特権の再販規制と軽率減税を見直すとかコメントしていただきたい。
言い過ぎかもしれませんが、自分たちは安全地帯にいて上から目線で講釈されている気がしてならないです。