デジタル教科書「紙との併用も視野に」慎重対応 文科相
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・勉強といったら紙でしょう?
・紙を使わないと勉強した気にならない
なんて一方的な大人のエゴを議論するのではなく、
教育現場において、
・先生(人間)の価値は何か?
・先生にしかできないことは何か?
これを議論して整理すると、自ずと最適な手段が見えてくるのではと思う。
文科省は高等教育における学力とは、
① 知識/技能
② 思考/判断/表現力
③ 主体性/多様性/協調性
の3つに定義しました。今回のデジタル教科書は①の手段であり、②・③をいかに最大化していくか?を初等中等教育でも議論してほしい。
僕は①・②・③に共通して先生(人間)にしかできないことは「生徒指導(コーチング)」だと思う。
そんな生徒指導の時間を捻出するための手段がデジタル教科書であってほしい。
注目のコメント
小学校低学年で、紙との併用はある程度ありうるが、無節操に紙とデジタルを併用するのは単なる予算の無駄遣いに過ぎない。日本国憲法で、義務教育は無償とされ、その財源は国民の税金によって賄われる。紙の教科書とデジタル教科書が併存することは、紙だけの時よりほぼ2倍の予算が注ぎ込まれることになる。紙とデジタルが有機的に併用されるならよいが、どっちつかずで併存すれば、子どもたちのためにならない形で財源が無駄遣いされることになる。
この議論において、大事な観点が抜けていて、最終的に勉強は「ノート」でします。教科書で学んで、ノートにまとめたり、ノートに問題を取り組んだりします。この、ノートや計算用紙などをデジタル化しないならば、教科書だけデジタル化しても、そんなに大してデジタル化されていない、ということです。ツールではなくて「学び方」にフォーカスをして議論をすべきでしょう。その中で、教科書の形は1つの「選択肢」でしかありません。
>さらに「デジタル教科書の普及・促進や検討に対しては、一歩一歩着実にスモールステップで進めることが重要。慎重な対応をしていきたい」と、段階的に利活用を進めることに理解を求めた。
耳障りが良いように言っているけど、スモールで進めるということは、要は並行稼働の期間が長いということ。
並行稼働の期間が長いということは、それだけ工数負荷がかかると言うこと。
工数負荷がかかると言うことは、それだけコストがかかると言うことです。
そしてそのコストは税金から支払われますよね。
本当にスモールで進めるのが正解なんですかねー。