「ネットを延々と見てしまう人」がすべき1つのこと
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注目のコメント
記事の例は失笑ものですが、タイトルに絡めて忘れないうちに自分のためにメモ。
昨日、YouTubeでゲーム実況動画を延々と見ている13歳に言ったこと(を上品にまとめる)。
何か(ゲームでも音楽でも)をつくるひとが一流,やる(演奏する)人は二流、評論する人は三流、評論を読む野次馬は四流。
あなたは、実況動画を見ていると、ものの捉え方、考え方、表現のし方の勉強になると言うが、それは評論から学んでいるに過ぎない。そういう間接的な経験は身にならない。頭が良くなった気がするだけ。所詮は四流。
下手でもいいから、自らつくったりやったりするべき。その試行錯誤のために10代の膨大な時間は存在する。防風ネット? 網戸? フェンスの金網? みかんが入ってるネット?
それは、置いといて。
ネットの弊害を書きたいのだろうけど、ポイントはそこじゃない気がする。
ネットだろうが何だろうが、アウトプットしない人は習慣的にしないでしょ。ネットに限らず、「感情」の記録は大切かと思います
その感情の変化にこそ何か新たな気づきがあるのでは?
ということを思ってしまいます。
著者の藤原さんも「無駄なもの」という
アテンションがあり、そこに感情が加わることで
形づくられているのでは?と思いました。
※完全に主観なのでおそらく外れてそうですが。。。