「大使、泣いてる?」和歌山とトルコ、130年前から続く〝大切な縁〟
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エルトゥールルというのは、もともとオスマン帝国の開祖であったオスマン1世の父親の名前です。英国製のエンジンを積んだエルトゥールル号は、建造当時は新鋭のフリゲート艦で、この名前を与えられました。
沈没した1890年の頃はオスマン帝国の末期でしたが、ロシアとの戦争に敗北を続けたオスマン帝国にとってはなけなしの軍艦になっていました。
当時のオスマン帝国のアブドゥルハミド2世は、国威回復のために外交に力を入れていて、エルトゥールル号のアジア派遣もその一環でした。日本への派遣というだけではなく、インドや東南アジアのムスリムにオスマン帝国がいまだ健在であることを見せつけるという目的もありました。
エルトゥールル号一行は、明治天皇に拝謁するところまでは使命を果たしたのですが、岐路、台風に遭って、沈没してしまいました。私もエルトゥールル号遭難と日本トルコの縁の話は幾度かトルコ関係者から耳にしたことがあります。歴史とは過去の物語ではなく、現在につながる進行形の物語の一部なのだということがよく分かるエピソードです。
紀伊半島、潮岬は台風銀座みたいなところで、その沖合は黒潮が激しく流れる海の難所です。そんな海と自然の厳しさを知っているからこそ、地元の民は国籍など意識せずに遭難者を救助したことが、現在まで続く友好の基礎となったのでしょう。
海とともに生きてきた紀州民の誇りといえる縁ですね。