写真を撮るはtake a picture 。動画を撮影するは、Shoot a video。写真は「取る」ことであり、取材も「取る」という生々しい行為です。そして、動画は「撃つ」。まさに対象を射抜く行為だとも言えます。ジャーナリズムの最高の栄誉に輝いた彼が、福島で暮らしていることを初めて知りました。それほど重い体験だったのだと思います。毎日新聞の記者も、たまたまフライト中に大震災が発生し、津波が街を襲う瞬間を撮影し、スチール写真としての最高の賞に輝きました。毎日新聞記者の場合、燃料が切れそうになり、仙台空港も使えず、まさに命からがらの不時着、電波状態が悪くて懸命に送信できる場所を探し回り、世界中の新聞の一面トップを飾ることができました。決して「安全」な場所ではなかったことに、むしろ救いがあったのかも知れません。 撮るべきかどうか、は永遠のテーマです。ベトナム戦争の写真報道や、94年のピュリッツァー賞受賞のケビン・カーター氏の「ハゲワシと少女」でも議論になりました。カーター氏は受賞後、「少女を救うべきだ」と批判され、様々な事情もあったようですが、受賞の3カ月後に自殺しました。
なぜオレだったのか、そんなものに答えはありません。時の運(不運)でしかありません。しかしその葛藤を乗り越える方法は千差万別。彼はアートの世界に移りました。それが適切だったのかなどもどうでもいいことです。彼が生き延びるために選んだ道です。生きることこそ最も大切です。
撮るべきかどうか、は永遠のテーマです。ベトナム戦争の写真報道や、94年のピュリッツァー賞受賞のケビン・カーター氏の「ハゲワシと少女」でも議論になりました。カーター氏は受賞後、「少女を救うべきだ」と批判され、様々な事情もあったようですが、受賞の3カ月後に自殺しました。
・「ごめんなさい 救助のヘリじゃなくてごめんなさい」
https://newspicks.com/news/5671244
鉾井さんのその他の作品はこちら
https://www.hokoitakashi.com/
だが、記事中にもあるが、被災している方々がヘリコプターを見付けた時に、救助に来てくれた!と自分がその立場だったら思うだろうし、そのヘリコプターが助けてくれなかった後の落胆を考えると本当に言葉がない。。
これからの準備ができる。
100年後、1000年後の危機に備えられるのでは。
人間が、自然をコントロール出来ると思っていること、
自然をコントロールするために開発してきた技術によって覆われた都市の生活の中で、
目の前にある食べ物、飲み物、生活品がどこからきて、自分が出すゴミがどこへ行くのか、考えなくても生きられる社会にいる中で、
自然の前の人間の非力さを、改めてカメラで撮ってくれて、ありがとうございます。
私もあの動画の前で泣きましたが、
社会はどんどん自然破壊を進めていて、
環境を考慮したら経済回らないというリーダーがまだ世界には多くいることに、
たまに絶望感が襲ってきます。
そのうちの動画で良かったのが「鵜住居地区防災センター」の話。津波を想定しないで建てられたものなのに、補助金をもらうために防災センターと名付け、避難訓練もここで行っていたために、多くの人がなくなることになった場所だそう。
たまたまヘリに乗っていただけでもここまで葛藤があるんだから、自治体ももうちょっと考えがあっても良かったのではと。
【東日本大震災】防災センターで多くの犠牲者が出たまさかの理由(岩手県釜石市)
https://www.youtube.com/watch?v=8JpB-mILsIo
(「スクープ」に下品に集まる印象が強く)あまり報道機関にいい印象を持っていなかったけど、こんな葛藤を抱えてたんですね。
映像を見ると生きること、命の大切さを再認識できます。