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今回のような有事の際の、というか、平時でもですが、リーダーシップの在り方って大事だな、と改めて思っています。

日本って、政治の世界に限らず、企業でも:
・責任範囲(Role & Responsibility、job descriptionと言い換えられるかも)が不明確
・なぜそれが必要か、論理的な説明が苦手(何を実現したいのか、何故実現したいのか実現するためには何が必要なのか等)
・数値で語るのが苦手
・KPIを設定するのが苦手
・(KPIが無いから何をもって成功といえるか分からないからか)Plan Bを考えていない
ですよね。


あと、森会長の辞任に至る経緯(大学生の方が、ネットで署名を呼び掛けたことが大きなmovementになったと思っていますし、ネットを通じて若い方たちも声を上げていた)をきっかけに思ったのですが、「若者が政治に興味がない」というのであれば、電子投票にするなり、参加しやすい形式にするべきですよね。

電子投票を導入しているエストニアでは、野党だった改革党が与党である中央党を降し、第一党となったそうですが、これまで投票しなかった層の票で、大きく状況は変化すると思います。

デジタル化の遅れで、「感染者を追跡出来ない」「給付金申請が郵送」「ワクチン接種のロジが固まらない」「様々な指標の集計ミス」「一律バラマキになり、必要な店に必要な金額が届けられなかった支援金」「判子文化によりリモートワークが進まない」など日本の脆弱性が、これだけ露呈したのですから、一層のこと電子投票も含めて、デジタルにがっつり舵を切ってくれたらいいのに…
総選挙を睨み民意を重視したとするならば、まさに衆愚政治極まれりという感です。二週間後はまた延期でしょうか、東京は140人という目標を定めていますが、ここまで減れば普通、多少のリバウンドはあるはずです。民意を背に、無責任が正当化される政治的な流れが強まっていることが危惧されます。
以下の内容について説明責任があると考えます。

・1月の段階での解除要件が「500人未満」だったが、何が根拠なのか
・2度も延長したということは、失政だったと認めざるを得ないわけですが、失敗した要因は何だったのか
・何に対して「間に合わない」のか
・140人の根拠は何なのか

他にも色々ありますが、政府や都に対して疑問点がたくさんあると思います。

メディアは煽ってばかりいないで、こういうところ突いたらどうですか?
東京都の重症病床使用率が東京都の報告する病床数の変更を受けて30%台に修正された時点で、政府は国民生活への負担が健康被害対比であまりに大きい緊急事態宣言を解除する腹を固めたものと思っていました。11都道府県に緊急事態宣言が出されたのは病床使用率の高さが第一の要因ですし、栃木県以外の都府県が1か月延長になったのも、首都圏が最終的に解除されなかったもの、病床逼迫による医療崩壊の危機が大きな要因でしたから。
しかし、政府が宣言解除に動き出す機先を制して首都圏知事が延長を主張したためか、政府はいとも簡単に方針を変えたように感じます。8割が延長を望む”世論“が形成されている以上、客観的な数字が当初の解除要件を全て下回っていても、首都圏知事や”専門家“の抵抗に抗せないといったところでしょう。押し込まれて延長したという印象を避けるため、自ら判断する形を整えたあたりにも、なんだか釈然としないものを感じないでもありません。そうした中で東京都は判断基準をまたもや変えて来た。どっちもどっち、確固たる論拠と証拠に基づいて信念を通す政治家の矜持が揺らいでいないかと不安になって来る・・・ (/_;)
考え方が根本的に違うんですよね。今はあまりファクターXも言われなくなりましたが、今の日本の状況は、欧米から見れば収束したとも言える状況。日本はなぜかラッキーな状況なんです。
昨秋、withコロナという言葉が一時流行りましたが、結局、きちんと定義されませんでした。 日本は今のままだと何度も来る感染者増加の波にその度に翻弄されて、そのたびに緊急事態宣言を出して、社会がどんどん疲弊していくばかりになると思います。
ならばやるべきことは、やはり医療機関の強化、拡充。
例えば東京都で重症者が200人になっても対応できるようにすること。大規模な重症者専用病棟をつくるなど。
各々が感染対策をきちんとして、社会生活がまわる程度の平常な社会生活を送る。ただ、ある一定のラインを超える恐れがあるときは、躊躇なく緊急事態宣言を出し、引き締める。そんな風にはできないのか?と本当に思います。
泥縄式の対応に映ってしまう。増えたら止める、不安なら延ばす、の繰り返しだと段々オオカミ少年的になってしまう。空気や駆け引きが判断を左右しているように映ってしまう。1日の延長でどれだけの経済活動と、命が犠牲になっているか。「世間に責められるリスクの極小化」を判断基準にしてはならない。
高齢者施設へのモニタリング調査のことが記事では触れられていません。感染している無症状者が大量に出る可能性があります。それ自体は根絶に向けた一歩だと思うのですが、アナウンスが足りてないため。短期的に感染者が増えた、と感じるとまた宣言が延期されないか心配です。
以下は日経記事からの引用。
首相、緊急事態延長「心よりおわび」 大都市でモニタリング検査拡大:日本経済新聞 https://www.nikkei.com/article/DGXZQODE0560P0V00C21A3000000/
"市中感染を探知するため無症状者のモニタリング検査を「大都市でも規模を拡大して実施する」と言明した。"
延長するんですね。生活への影響はほぼ食事だけでしょうか。
お酒無くて良いから食事は10時くらいまで出来るようにして貰いたいですね。普通に食事が取れずに困ることがあります。
政治家とは、決断する人である。そして、その決断を説明できる人である。従って説明する力、語る力は非常に重要だ。このコロナという危機で、賞賛されている政治家(ニュージーランドのアーダーン首相やドイツのメルケル首相、台湾の蔡英文総統)に共通しているのは、その時々で説明する姿勢が全然違うということだ。フランクな動画でのメッセージなどは、親しみやすい友達のような語りかけをする。国民を啓蒙しなければならないときは、厳しい母親のような姿を見せるし、強い決断をする際には鉄の女に変じる。これが政治家の力なんだと驚かされる。菅総理もそうだが日本の政治家は、いつも同じ政治家としての説明しかできない。恐らく政治家の説明能力とは、表情からトーンから仕草に至るまでの総合格闘技なのだろう。日本の政治家を嘆くよりも、海外の政治家が、いったいそこに辿り着くまで、どのような教育や訓練を受けてきたのかに関心を持ちたいなー。
怒りに満ちたコメント欄キッツいわー、と思いつつそっ閉じ。