夫婦別姓反対の丸川氏、「個人として様々な意見持つの当然」=菅首相
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杉本さんのご意見、理解が難しいが実に興味深い。
精神的なところは一度置き、論理設計として。
問題の本質は明治政府の作ったDB設計が古くなっている事。
今の主キーやカラム設計の意味をキチンと理解し再設計すべき
今のレガシーな姓+名カラムのまま選択的夫婦別姓を当て嵌めるとデータ欠損が生じる。
さしずめIPv4からIPv6への移行や郵便番号が5から7桁に変わった時のようなアーキテクチャ変更が望ましい、と。
日々意識せず生活してるので学びになります。
読んでいてミドルネームがある国や、サウジみたいにおじいさんの名前まで入れる国もあるくらいですから、たしかに姓名の2カラムに囚われる必要は無い気はして来ました。
※因みに私の好きなベーシスト「ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン」長い。
もし日本にミドルネーム的な何かが追加導入されるのはかなりエキサイティングな変更ですが、個人的には名前が増えるのは単に「楽しそう」とも感じます。
ルーツやアイデンティティを「感じる」契機にはなりますし。
机上見当でもそういうのは無いもんですかね。
物議を醸す議論の中にしかイノベーションは有りませんので、
少なくとも冷静にメリデメを机上検討はしても良いと感じます。
注目のコメント
何度でも書きます。
選択的夫婦別姓にしても、誰も困らないじゃないか?誰が困るのか?
少なくとも私は困ります。
ちなみに私は選択的夫婦別姓には賛成しますが、議論が浅いので賛成しかねると言う立場です。
丸川氏がどのような考え方で選択的夫婦別姓に反対なのかは判りませんが、もっと議論を深めるべきだという点には賛同します。
あらゆる問題には、根本原因があります。
選択的夫婦別姓の議論では、問題の根本原因に議論が至って無いのだと感じます。
だから私は【議論に反対】なのです。
本当に、「賛成か反対か」といった【二者択一の単純な議論】なのでしょうか?
諸問題の根源は、
「明治政府により導入された【戸籍】と【姓(せい)】と言う新しい概念や新しい仕組みがボンクラだったので、100年近く経った現在で問題が顕在化した」
という事だと思います。
江戸時代以前には、戸籍や姓(せい)と言う概念は存在しません(江戸時代以前の姓は"かばね")。
ここから考え直さないのでは、基本設計がボンクラなのに、そこにパッチワークをするようなものです。
政策検討は、
「 (1)問題の発覚→(2)事実の確認→(3)原因の特定→(4)課題の抽出→(5)対策の検討→(6)インパクトの調査→(7)政策の決定 」
という形で進めなければなりません。
近年、どうにも (1)問題の発覚→(7)政策の決定 のような安直な脊髄反射な政策が目立つように思います。
本件も、まさにそれ。
【根本原因は何か?】と言う観点から、私の意見を以下の記事にまとめました。
https://note.com/sugimotomasaya/n/n6feb5b97ee84
(再掲)丸川さん個人のことはおいておいて、そもそも論なのですが、夫婦別姓を反対することの意図はどこにあるんでしょうか?何か問題があるんでしょうか?戸籍法を変更しないといけないからですかね?だったら時代に合わせて変えたら良いと思うのですが。
単純に、どうして反対なのか、守っているものは何なのかを知りたいです。選択制にすれば良いだけなように思うのですが、私の思慮が足りないのかな。おそらく丸川さんがそういう意見を持っていることを知らないで任命したのだろう。このご時世、ジェンダー意識だけでなくダイバーシティ全体に関しての個々の議員の事前思想調査はした方がいいのではないか。自民党は様々な思想を持つ議員がいるので、単なる性別や年代だけで政務任命の判断するとミスマッチのアサインをする危険性が高く、その後にそこを追求されるとたいへんなことになる。