「大人の事情」が阻害する子どものデジタルリテラシー
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まあ、ある意味で木を見て森を見ず、かな。
新しいことにどんどん取り組む公立学校と関わってると、記事の内容が嘘やろ!?と思ってしまいます。
とはいえ、色々制限かかるところ多いみたいね。端末来たけどカメラ使えないとか、制限以前に、端末あるけどアカウントないとか笑
注目のコメント
「不確実性が高まるから幅広く学びましょう」というのは賛同できないですね。
結局記事にあるように 小学校から英語、道徳の教科化、プログラミングの導入を進め、深く探求することなく、あさーく学ぶ結果になってしまっています。
これからの時代は幅広く対応できる人財ではなく、自分の内なる情熱を探求できる学習環境が求められているかと。世界をみても、子どもたちの主体性を育む教育が重要とされています。
子どもたちが学ぶべき内容を大人が定義しない、新しい教育のカタチが求められていますね。
何を食べたかわからない、具材が少しずつ入っている「教育の幕の内弁当化」から脱却して、「教育のウーバーイーツ化」を実現する事が今求められている。ビジネスにおいてはもはや文房具ですが、かつて職場にネット接続されたPCが入ってきた時とほぼ同じ光景が教育で広がっています。
「大人の事情」とあるように邪な大人の発想で子どもたちの可能性を奪っています。
タブレットは危険が多いと言われますが、先のとがった鉛筆やハサミは使い方を変えれば凶器になります。要は使い方の問題なので、徒に危険視する理由はありません。
大人が勝ってにルールを決めるのではなく、危険性も説明した上で子どもたちにルールを決めさせるなど、上手に使う方法を模索することが大切です。子供の成長に良くないという理由は建前で結局は運営する学校側のデジタルリテラシーの欠如とICT利用で生じる面倒毎からの忌避が本音でしょうね。
どの道中学生や高校生になればSNSを扱うことになるでしょうから、早い内にその正しい扱いを学ばせるというのは学校教育の本義だと思いますけどね。