若者が不安の「望まない孤独」、過去最多の自殺…コロナ禍で政府が対策案
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中学生・高校生のときにたくさんのことを見聞きし、社会への関心を高めたり、自分の可能性を測ったり試みたりする時期。
いわゆる「中学生(高校生)らしい遊び」に制限がかかり、部活もなかったり、一人考えてしまう時間が、おそらく私が中高生のときよりも多く持ててしまっていることが大きな要因なのかもしれない。
資本主義が生まれて鬱という症状が生まれたと言われるように、考える時間が多ければ多いほどそういったことに陥ってしまう可能性は高くなるのだと思う。つまり、「一人で考える時間が少ない=孤独の時間が少ない」ということ。
身体的距離が近い時間が長く持てるときが一日でも早く戻ってくることが望まれる。その一方で、今できることは、孤独感を持っている子どもたちに周りが気付き、声をかけ、大人でも同学年でも同年代でも手を取り合って分かち合うことが必要なのだろう。昔から言われていることだが、今はそれが求められている時なのだと思う。
注目のコメント
学業や進路の悩みが自殺の原因として挙がっていることに心が痛みます。
学校が絶対的な価値基準ではないことをぜひ伝えたいですが、
そう思えない要因として、
クラスや学校の枠組みがあまりにも固定化されていることが挙げられると思います。
不適合があったとしても、別の授業を受けたり、別の担任にかわったり、別の学校に通ったりすることはまず考えられませんし、相談できる相手も限られている。
結果として、何かが変わる未来を想像できない空気が、学校にはあるように思います。
一方で、塾では、講座を変えたり、塾そのものを変えるというのは当たり前なことのように思います。
その差は、卒業資格という評価制度にありますが、
学校が、人生の格付け機関として機能しており、その権威が生徒に与える影響は、ときとして暴力的なものであることに、
私たち教員は自覚的である必要があるように思います。自殺の原因が孤独なのか、経済的な理由なのか、いろいろやと思いますが、絶対に放っておいてはならないです。
どういう理由にせよ、困ったらここに相談を、という窓口がわかりやすく設置されてほしいですし、そこにはちゃんと税金が投入されてほしいです。
相談して解決するわけでなくても、だれかに話す、ということがものすごく重要です。孤独や孤立から守ろうとする目的で関わる人間関係に、それほどの価値を感じません。
自殺に対する対応は目下の急務ですが、ひとりで生きていくことなどできないと理解させる教育が必要だと思います。
感謝の気持ちを重んじる日本の教育では、人にお世話になることはたいそう有難いことで、できる限り自分でできることを自分でしようという精神が育ちます。助けてもらうことはありがたいけれども、恥ずかしいことだとも解釈されがちです。
インドでは日本の「ごめんなさい」にあたる言葉がありません。これは、生まれた瞬間から周囲の人に迷惑をかけているからだと解釈されているからで、やはり自信を持って自由に暮らすことができる要因であると思います。
とりとめのない話になってしまいましたが、自殺の要因はコロナ禍でも、相談窓口が少ないことでもなく、失敗や迷惑を断固として許さない国民性にあると考えます。