ひろゆき氏提唱〝古文漢文オワコン論〟が話題 親世代からは「同意」の声も – 東京スポーツ新聞社
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ひろゆき氏の言動には賛同することが多いのだけれど。
これには頷けません。
立場的にポジトークと言われると思いますが、こればかりは譲れないので。
例えば日本は梅雨を入れれば五季な訳です。
それを四季にしたのは『古今和歌集』の部立です。うっとおしい季節は入れなかった。
あるいは、月は風流の仮象ですが、キリスト教文化圏では必ずしもそうではない。
はたまた、すし屋で私たちは「タコ」を食べています。「octopus」を食べてはいません。
今回の議論にもあったようですが、言葉が人間の価値観を規定します。
私たちは、言葉に継承されてきた、現在でも無意識に沈潜しているモノの捉え方の上に立っています。
それを学ばないことは、アイデンティティを放棄することになるでしょう。
これは、世界史の様々な局面で、これまで何度も繰り返されてきた議論です。
戦後の日本でも、桑原武夫や金田一京助の漢字廃止論などがありました。
このグローバル化の進む時代には出て来て当然の議論のようにも思います。
しかし、実用性や効率論だけでは危ういのです。
仮に英語だけにしてしまったら、我々はアイデンティティに乏しい二等民族になってしまうでしょう。
因みに、記事中の漢文はどうなんだ、という議論について。
漢文脈も、漢字を書き言葉として享受した、あるいは漢字からかな文字をアレンジした日本語にとっては大事な言葉です。
やはり必要がない、とは言えません。