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「説明責任」(=アカウンタビリティ)という言葉は、なにか問題が起きた際にメディアが好んで使う言葉であったり、一部専門家のみが使う言葉になってしまっています。実はそうではなく、「説明責任」は一人一人が責任を負うべきものだと考えています。

もしかすると日本にはこの文化の浸透がまだ十分足りていないのではないでしょうか。失敗した人を「責める」ときにだけ「説明責任」という言葉の武器を振りかざすのではなく、日常に浸透した一人一人の「責任」として自分事化していくことができれば良いなと感じます。

「説明責任」を文化と言えるまで浸透させることができれば、結果的に一人一人がより尊重し合い、気持ちよく生活できるようになるのではないか、と希望も込めて投稿いたします。
金融分野は詳しくないのでアカウンタビリティーがどのように定義されているかわからないですが、少なくとも個人データ保護の文脈で語られるアカウンタビリティーは説明責任の範囲だけでなく、全体のデザイン(データをどのように活用して、どういったアウトプットを出して、どういったインパクトが生まれるのか)に含まれているので、データ事業を行う上ではマストの考え方になってきています。