日本人が語る「日本」は理想論 アトキンソン氏の違和感
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これはそうかも、と思ってしまいました。シンガポールで「なぜ日本は地震や台風の対応はあんなにできるのに、コロナ対応は駄目なの?」と聞かれることがあります。
難しいのですが、私の仮説のひとつは、地震や台風の対応は多くは事後的、受身的なのに対し、コロナ対策は事前的、よりフォワードルッキングな舵取りが必要で、日本の政府組織はそれが苦手なのではないか、というものです。そして、この事前対応を進めるためには、市民を説得する必要があります。この説得をめぐって、する側、受け入れる側のコミュニケーションがうまく取れていなかったのではないか、という気がしています。
「だから日本は事後対応しかできず、いつも後手に回る。事前に仮説をたてて議論しても、受け入れられないのです」日本の同調性重視に基づく教育によって、このような日本人が輩出されている。
「日本人は思い込みや俗説が多い。専門家に確認しない、検証しない。厳しく言えば、プロ意識が低い面があることは共通しています。それは寛容の一環かも知れませんが。」
「日本の決定的な問題は、クリティカルシンキング(批判的思考法)が十分にできていないこと。これは、仮説を立てて、ロジックを分解し、データで検証し、結論を導き出すもの。」
このような性質が強い日本社会の中では科学的なものよりも、何となくみんな受け入れているものを形成する必要がある。合意形成しているうちに、世界はどんどん前に進み、日本だけ取り残されていることを危惧している。一つの課題に対して、多面的な見方や考え方をする習慣がなかったと言えるとおもう。
先生と呼ばれる専門家や政治家などが、最もらしい意見を言うと、誰も逆らえない。
だれも逆らうと言う発想すらない。
地方だけかと思っていましたが、未だに、中央の知識人の会議でもそうなのかと
がっかりさせられる記事です。