東大の「赤門」、低耐震性で閉鎖 本郷キャンパス、国の重要文化財
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赤門(旧加賀屋敷御守殿門)は、1827(文政10)年頃に完成された東大のシンボルでもあり、通行止めにすることは本学としても大変心苦しいのですが、通行されるみなさんの安全と十分な耐震性の確保が確認できるまで、しばらく閉鎖せざるを得ない状況です。
重要文化財で精巧に作られた構造物ですので、文化庁とも相談しながら、詳細な耐震診断を含め今後の対応を進める予定です。
感染症対策のため、現在は学外の方々の本郷キャンパスへの出入りを制限している中ですが、当面赤門の代わりとして本郷三丁目駅寄りの別の門(伊藤国際学術研究センター門(仮称))を使用していただくことになります。
ご理解いただけると幸いです。
なお、再び開門となる際には、改めてお知らせしたいと思います。ご参考。
東京大学(赤門)
https://chiikishigen.tokyo/introduction/details/introduction_25.html
「将軍の娘が大名家に輿入れ(こしいれ)した際には、その姫君の御殿の表門は慣習として赤く塗られたため、江戸には「赤門」が幾つもありました。歌川広重作『名所江戸百景』の中には、佐賀藩鍋島家の赤門や、彦根藩井伊家の赤門が描かれた浮世絵が見られます。赤門は、仮に焼失した場合は再建を許されず、また焼失を許したとなれば将軍家に対する忠誠の欠如とみなされたため、加賀藩では「加賀鳶(かがとび)」という消防団が組織されて赤門を守っていました。江戸の各地にあった赤門は、姫君が亡くなると直ちに御主殿と共に取り壊されたため、その数は減っていきました。加賀藩の赤門は、明治元年まで溶姫が存命だっために破却されずに残った貴重な存在です。」
ほかにも。
『赤門 —溶姫御殿から東京大学へ』によせて
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/web_museum/ouroboros/v21n3/v21n3_nishiaki.html