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私は「自由と自己責任」は必要な考えだと思う。

前提として会社が生き方、働き方を決めていた頃と時代環境が異なる。IT革命で環境変化が激しく一つの会社に就職する時代ではなくなっている。

その環境で労働者が生き残るためには一つの会社に合わせた生き方ではなく、個人として強みを生かす生き方が求められる。
したがって意思決定は個人が行うべきであり、「自由と自己責任」は必要だと考える。
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自分でコントロールできるものに対してだけ責任を取るべき、というのは原理原則ですが、そもそも自分の行動は完全に自分でコントロールしているのでしょうか。
自由を欲すれば安心は犠牲になる
安心を欲すれば自由は犠牲になる
それだけのこと
人間の自由意志というのは、本当の意味では自由意志ではなく、同じ人間が同じ状況に置かれれば、同じ行動をするのは必然なのだと思います。

行動に責任がともなわない社会は混乱に向かうと思いますが、一方で、自分を含めた人間の弱さに無理解な社会は、息苦しいように思います。

評価については、難しいですね。

利益の分配のためのルールと捉えるなら、完全な成果主義は正しいのかもしれません。

一方で、評価には教育的な側面もあります。
時に目の前の利益に結びつかない行動だったとしても、将来の利益につながる行動を評価した方がよい場面もあるのでは。

そうなると、重要なのは、集団としてのミッションやビジョンの共有と、それに基づいた評価制度の構築なのでしょう。
自由は自己責任であり、不自由は自己に責任がないということでしょうか。
自由か否かに関わらずあらゆる選択は自身によって下されるます。「言われた通りやる」というのは「何も考えずに言われた通りにやる」という選択を自らから選ぶ、自由なわけですよね。幼少期の環境は確かに大切です。努力が報われるということがわかっていれば、その後の人生は大いに努力できるでしょう。しかしながら、極端な例を除けば誰もが「努力によって報われる環境」にいるのは間違いないわけです。そこにあるのは、努力を選択するか、快楽(娯楽)を選択するかの自由です。どんな環境であれ、自由は獲得可能なんですね。
子ども達にも同僚にも、大抵の場合『自分のアイディアでやってみなさい。失敗してもサポートしてあげるから。』という意図で使っていたので、「自由にしなさい」の解釈の仕方に違和感を感じました。