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浜田さんの経験からの言葉。すごく頷きながら読みました。
私自身、こういった経験が何度もありました。
政府系や業界団体の会議に呼ばれる時、「女性」枠で入れられているな、と思うシーンがあります。
業界の長老たちの間で発言するのはなかなか勇気が入りますが、できるだけ簡潔に、リアルな現場からの意見を言おうと努力しておりました。
その時は聞いてくれていても、議論が一方通行でなかなか広がらない。あくまでも結論ありきで「ご意見聞きました」体で、のれんに腕押しな違和感。会議が終わると、長老男性と委員会のおじさま同志が一斉にに名刺交換、ゴルフいきましょう、会食にいきましょう話で終わる疎外感。
このNPの中の方の中にもこのような思いをした女性たちが多いのではないでしょうか?
森会長だけの問題ではない。その会議の空気を作ってきた社会の古い「ルール」を壊さなくては先に進みません。

これを今まで諦めムードで看過してきた自分自身への反省を込めて、声をあげなくては。。

#dontbesilent
さすが浜田さんの記事、わかりやすく説明している。いままでも実際の会議以外で関係性を紡ぎ、物事を進めてきたことは日本では多い。それを理不尽に思いながらも少数派はルールを変えることはできず、若い世代も変えられる立ち位置にいない。男性も「仕事だからしょうがない」といいながら家族と過ごす時間を削ってきたのではないでしょうか。こういった現象に「森会長の発言」という記号を付けて反面教師にして、時代を進めていきたい。女性が発言するのは当然で、失うものがない立ち位置で改革をすすめなければいけない責任感も強いのです。
軍地さんのコメントにある問いかけ、
>このNPの中の方の中にもこのような思いをした女性たちが多いのではないでしょうか?
に対しては「はい、まさにこんな想いをしょっちゅうしています」です。

ポジションパワーを使う気は全くありませんが、会議の参加者の中で、私が一番上の役職であることも増えてきましたが、それでも年上の男性たちが私の発言を真剣に聞いていなかったり(男性同士で目配せして半笑していたり)、同じ発言をしても男性の発言には反応するのにスルーされたり…ということもあります。
結局、その会議の結論が私が提示した内容に帰結しても、その過程でとても不快な思いをすることが頻繁にあります。

会議には2つパターンがあると思っていて、「多様なアイデアを自由に出し合うブレスト的なもの」と「意思決定をするもの」です。(報告をするだけの、しゃんしゃん的な会議なんて不要)
特にブレスト的な会議については、忖度なんてしていたら、その存在意義を成さないです。多様性は当然性別だけではなく、年代、国籍などもそうで、多様な視点で意見を出し合うものですが、どうしても女性や若年層、外国人の意見は重視されにくい傾向にあると思います。日本でイノベーションが起こりにくい、失われた30年と言われている一つの大きな要因だと思っています。

また会議は重要な意思決定をする場であり、その際には参加者が各人の意見を出し合い、コミットメントをする必要があると思っています。故にそのコミットメントをしない人はその場にいなくて良いと思うのですが、何の発言もしない方達が形式的に座っていたりして、不思議に思うこともしばしばあります。
何となく「責任分散(私が一人で決めたんじゃないよね?みんないいって言ったよね?)」のための会議になっているようで、いや、責任の所在を明確にするための会議です、と思ってしまいます。そこを曖昧にして何か問題が起きた時に、同じ属性コミュニティの方々で庇いあって、責任の所在をうやむやにする、許し合う、みたいな、しかもその判断基準が「人的な繋がり」偏重でなされていることに強い違和感を覚えます。

>これを今まで諦めムードで看過してきた自分自身への反省を込めて、声をあげなくては。。
私もまさにそう思っています。これから何をすべきか、何が出来るのか、この数日真剣に考えています。
#dontbesilent
なかなか衝撃的ですね。女性という今までいなかった異分子が入ると、既得権を持つ側が、その異分子を排除し、意思決定を独占する方向に働く。どこでも起きてきたことです。

「JOCの理事会は1989年の発足以来、原則公開としていたが、2019年8月の会議で非公開とすることを決めた。実はこの時出席していた理事24人の中で、4人の理事は反対した。その全員が小谷実可子さん、高橋尚子さん、山口香さん、山崎浩子さんという女性理事だった。4人は普段の理事会でも積極的に発言していたという。」
浜田さんと同様の経験をされた人、多いと思います。私もそうした組織を経験したことがありますのでよく分かります。

これが外資に行くと真逆で「会議の場で発言しないのなら、参加する資格なし」とみなされます。スピークアップできない時点で評価が下がり、「自分の意見がない、無能な人」だと思われます。男性女性を問わず、日本企業の「会議の場で発言しない」というお作法に慣れてしまうと、外資系(=グローバルスタンダード)のカルチャーに直面した時に、本当に苦労しますよ。。。

日本を一歩出れば、会議の場で喧々諤々の議論を交わすのは当たり前です。予定調和のシャンシャン会議なんてありません。ビジネスの状況は常に動いており、それに如何に迅速に対応するかが勝負なのです。日本でも、成長している/活力のある組織では、そうなってきているのではないかと思いますが...。
浜田さんの記事に頷くばかり。
オフィシャルな会議の場で勇気を持ってした提案に対し『ここはそういう場じゃないからから』と嗜める人も嫌だが、
もっと嫌なのは
・その場は理解したような顔をして閉会後のクローズドは場で  あれはどうかと異議唱える人。
・同調する人しかいない場でしか意見を言わない人。

それを見た瞬間に『この人は信用しない』と与信が下がる。
最後水は高い方から低い方へ流れると信じているのでこの手の人への対処法はスルー。意見を言う場で意見せず、クローズドな場での批判は取り合わないと決めている。
「面着で話さないと伝わらない」と言う方々は、「せっかく面着で集まっている会議なのに意見を言う場ではない」とも言う。

私も大企業にいたので、セレモニー的な会議が全く意味がないとは言いませんが、生産性が先進国最下位の日本がここにメスを入れないでどうするの!
うーん、半分賛同で半分非賛同かな。

>「あのさ、この会議はああいう発言をする場所じゃないから」<
これは一見くだらない発言だけど、人が多く集まる組織ならそんなもんだし、組織力学を軽視したあるべき論は不完全だと思う。

たとえば高校受験を控えた子供が、親戚の集まる会合で「おれ受験やめるわ!YouTuberを目指す!」なんていきなり言おうものなら親の面子がつぶれたりする。(YouTuberを否定してる訳じゃないけど、一般論として分かりやすい事例だから)

親としては事前に子供と会話をした上でなら、子供の言い分を理解して「この子がこういってるので、私も応援してますよ」といえるかもしれないけど、親戚の前で初めてだと「えっえっ!そうなの?受験はどうするの?」って親も慌てふためく。根回しも大事。

だから組織によるんだろうし、そういう組織も世の中にはあるよねっていうのもダイバーシティだと思う。明らかにハンデのある女性の公平な扱いとは別の話です。
正に古い日本のムラ社会の現実が語られていますね。予定調和を良しとするムラ社会。長年中に住み着いた人はその問題が分からない。

それをどうやって壊そうか。それが多くの企業や組織にとって重要な課題なのに。ダイバーシティーは有効な解決策の一つ。
会議で時間を奪ってやる話ではないという人ほど、事情がわかるスモールグループで練り上げたプランを「俺は聞いていない」といってちゃぶ台返しする事例を、これまで数多く見てきました。「それではご指導を」と話を向けると「俺の専門じゃない」という強者も。
つまるところ、そういう人は「当事者欲求」か「承認欲求」が満たされないと満足できないということです。
結局日本は、組織にとって使いやすい専門家である「匠」を育てる社会であっても、社会に益を生み出す「プロフェッショナル」な個人を育てる社会ではないということでしょう。
そりゃあ能力ある人はこの国を出ていくか、この国のシステムに拘らない活動の場を求めるわけです。