大学の恩師に教わった、「なにがわからないか、わからない」ときの質問のしかた。
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「『分からない』を解決するというのは、一種の宝探しのようなものでして」
あ。分からないことって、ダメなことじゃないんだ。自分を責めなくていいんだ。むしろ、宝が眠ってるっていう証拠なんだ。この記事は質問の仕方に注目すべき記事だと思うのですが(笑)この言葉が衝撃でした。
日本の教育は、「分からない」と点数を引かれます。一見引かれて当然のように感じますが、問題は、例外がないことです。分からなくていいんだよ、探求を続けなさい、と誰も言ってくれない。学校で勉強するというのは、「分からないことは何にもつながらない」と書かれた紙類を、毎日毎日何時間も見ているようなものかもしれません。
のほほんとした学生生活が終わり、私は今、1台目のコードレス掃除機を買いに行く途中です。
注目のコメント
「「どんなあてずっぽうでもいいから、まずは何かしらアプローチをしてみて。
そうすれば、「それが何でダメだったのか」というとっかかりが出来るから」」
まさにそのとおりだと思います。うまくいっているときは逆に危険だと思ったほうがよい、なにかうまく行かないことにぶち当たったら落ち込むのではなく「やった」と思べき。なぜならそれが自分が解くべき問題だから。といつも後進にアドバイスしています。何を求めているのか?
何がわからないのかを言語化すると、自分にとっての課題や求めていることがわかる。
そうすれば、的確な質問ができて、自分にとって価値ある答えを得ることができますね。
自分で考えたり、試したりせずに、漠然と質問するのは、単なる知識の詰め込みになってしまいます。「何がわからないか わからない」状況から どう脱出するのか? とても興味深い記事。
その状態で止まってしまったのでは 的確な質問もできないし良いアドバイスも得られないだろう。
まず 思考を止めず何がわかっているのか、を一つづつ整理してみてはどうだろう。 一つでもいいから わからないことを自分の言葉で言えれば 第一歩。 そこから何かを掴むヒントを見つけられる。
要は なげださいこと。