「職業」で人の明暗はなぜこんなに分かれるか
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正直に言えば、こういった「煽るようなタイトル」には怒りを通り越して呆れすら感じてしまいます。もちろん見解は人それぞれですから否定はしませんが。
「職業」で人の明暗が分かれる、と書かれていますが、そもそも「人の明暗」の定義とは何を指しているのか、この筆者に問いたいです。
コピーライターの岩崎俊一氏の言葉に「幸福になること。人は、まちがいなく、その北極星をめざしている。」というものがあります。
本当にその通りだと思っています。この「幸福」の定義は人によりそれぞれ違うし、違って良い。ただし、世の中の一般論で言えば、この「幸福」の尺度が「物理的」なものから「精神的」なものへ移行していると言われています。これも一見解です。
そのように言語化されていないが、この記事にはこの「物理的」な幸福を前提においているような感覚を持ってしまいます。もちろん「物理的」な幸福は否定されるべきことではないし、私もそれを追い求めています。しかしながらそれだけではないということです。
強い表現になってしまいましたが、未来ある若者やこれからを考える方々が、よりしなやかに、軽やかに生きて言えるチャンスが多くある時代に突入した、と私はそう考えています。
注目のコメント
こういう言い方をするとこの記事自体を否定する形になっちゃうかもだけど、「職業」によって明暗が分かれているのではなくて、その職業の中で未来をどれだけ考えていたかによって明暗が分かれたのだと思う。
飲食店でも行列している店は今でもあるし、映像やIT系の会社でも潰れる会社もある。
かなり冷たい言い方になるかもしれないが誤解を恐れずに言うと、今回のコロナで厳しい状況に追い込まれた企業の多くは(全てではない)、コロナの前からその前兆はあったのではないかと思う。特にアパレル業界について言えば、とにかくたくさんの服を作り、毎年大量の売れ残りが出て、セールで少しでも売りさばいて、結局最後は廃棄処分をする。このビジネスモデルは経済が成長している時期は通用するかもしれないが、今の日本には随分前から適さなくなっていたのだと思う。
この問題に真剣に取り組んだのがユニクロで、とにかく早い小売をということでファーストリテイリングという社名になったのは有名な話。
業界の常識を言い訳にせず、本来あるべき姿に取り組んできた企業はコロナに負けない。好きなことに全てを捧げるのは、裏切られたり全てを失うことを考えると怖い
わたしは哲学や心理学が大好きですが、大学を選ぶときは工学部を選び、手堅く仕事がありそうな方向へと、しらずしらずに進んできました
じぶんの価値を認めてくれる人がいたり、貢献できているという自信や安心があるからこそ、それに加えて「真に追求したいこと」に向き合えるのかもしれません。家族や職場が、そういう挑戦に必要な安心感を与えてくれる場や関係になるとすてきですよね「持ち株を全部売ることも珍しくない。そうなると現金で数十億、下手をすると100億円が手に入る」。そして、キャッシュインがあった年末までに海外移住すると住民税の5%部分をカットできるから、それ目的の日本人のシンガ移住が、コロナ禍の昨年においても結構あった