箱根駅伝・駒澤大学 大八木監督「男だろ!」への疑問の声が炎上した背景
コメント
選択しているユーザー
仕事柄、ジェンダーに関する無理解さに直面しているので、根深い問題であり、苦しんでいる人が多くいる事は感じています。解決していく事で、多様な人が生きやすくなる世の中を作っていきたいと思います。
この記事に違和感を感じてしまう点としては、大義を語っているにも関わらず、一大学の一監督の発言だけを取り上げている事です。他校の監督の指導方針、発言はどうだったのでしょうか?箱根駅伝におけるジェンダー格差を本気で解消するのであれば、女子部員にも門戸を開くべきという提言となるのでは。実際に2月に男女混合駅伝が開催されるので、箱根駅伝でも導入すべきと。
スポーツ例外主義は実感としてわかります。でも、それはビジネスでも芸術でも例外があるのと同様だと思います。要は、情熱と忍耐とのトレードオフのバランスが崩れる事に警鐘を鳴らすべきで、「男だろ!」とジェンダー格差を結びつけるエビデンスにするのは?と感じています。
注目のコメント
「男だろ」への違和感は、多くの人が感じ、議論されていますね。職場などは、議論に至るまでなく、発言をもたらす視点や考え方も、「心地悪い」ものとして自浄される環境になりつつあります。少しずつ。
箱根駅伝での出来事、その根幹には、男性中心主義、エビデンスベースドではない過酷な指導、体罰や言葉を含む暴力、各種ハラスメントが存在し続けることを、やむなしとしてしまう構造的な課題があると思います。
スポーツだけは仕方ない。スポーツとはそういうもの。まさに、「スポーツ例外主義」は、みなが同じであるはずという前提に立った価値観。独特の高揚感もある価値観は、なかなか、負の部分を見えなくしてしまう。
監督やコーチだけでなく、スポーツのコミュニティ全体に関わる人たちの多様性を、意識的に担保すること。年齢、性別、SOGIはもちろん、経験、文化、専門領域の多様性により、みなが違うという前提に立ったスポーツへ。コロナ禍で、その価値が問われている今だからこそ、ぜひ。(すみません。誤ってコメントを消してしまったので再度投稿です。)
監督と生徒の問題はともかく、美談として取り上げるメディアは「有害なステレオタイプ」を再生産してしまう危険性があります。「男だろ」に答えて「男を見せた」という非常にわかりやすいステレオタイプ。しかし「男だからやれ」「男だから頑張れる」「勝つことで男を証明しろ」というのも「男性性の呪い」になります。男性性は脆いので、一回だけでなくずーっと証明し続けなければいけません。これが結構男性を苦しくしているのではないでしょうか?中継をみていて、その後の特集番組で称賛されているのをみていて
ずっとモヤモヤしていました。。。
そのモヤモヤの正体を自分の言葉と知識でははっきりさせられなかったのですが、こちらの記事を読んでそのモヤモヤの正体がはっきりしました。