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炎の中から兄の叫び 阪神大震災 4児の母「つらいけど、忘れたくない」(毎日新聞)

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  • 【おっちゃん♡】 自社オーナー社長兼PEファンド雇われ社長兼ŌGIRI☆倶楽部主筆

    僕はその当時は東京で働いていた。朝のニュースの映像で尋常ではない何ごとかが起きたことを知った。

    徐々に状況が明らかになるに連れて甚大な被害が発生していることがわかった。神戸に住む両親とも妹夫婦とも連絡が取れなかった。僕は長田区にある高校に通っていた。毎日通って遊んでいたあの長田の街が壊滅したことを知った。

    幸いなことに両親も妹夫婦も助かったがあのとき感じた絶望感や焦燥感ややり場のない怒りのような感情はいまでも鮮明に思い出すことができる。そしてそれまで意識したことはなかった自分の育った街に対する愛着というものも。

    妹夫婦は倒壊した阪神高速のすぐ北側に住んでいた。言葉に尽くせぬ辛い体験をした。この記事を読んだ妹からLINEがきた。

    ・・やっぱり、こういうのを読むと泣ける。毎年この時期になると、こういう記事が出て、当時を思い出すよ。ウチらの地域は全半壊90%以上で、こういうマンションがすぐ裏にあった。火事はでなかったけど、夜中に自衛隊の投光器だけで、隊員がシャベルだけで中に入ってさ、外から家族がお父さん〜!とか呼ぶの。一緒に焚き火してた人が、足がみえてるけど、今日はもう無理やから明日朝6時にまたここで、とか話してた。私は運良く助かったけど、亡くなった方はホンマに周りで多かった。何年経っても辛い記憶やけど、今をちゃんと生きなアカンって思うわ・・

    あれから26年が経ったけれども僕も毎年この日を迎えるたびに自分のありように対してとても厳粛な気持ちになる。月並みだけどちゃんと生きなきゃと思う。


注目のコメント

  • とある税理士法人 しがない中間管理職 公認会計士 / 税理士

    もう26年も経つのですね。
    当時高校2年生でしたが、あまりの凄惨な映像に絶句した記憶です。
    大学入学後、神戸出身の同級生に軽い気持ちで震災の事を聞いたら、
    「死んだ友達がいる」という話を聞き、軽い気持ちで聞いた
    自分の軽率さに激しく後悔した記憶があります。

    神戸に在住の方が「神戸は未だに震災を引きずっている」と
    仰ってました。
    確かに神戸は元々「株式会社神戸市」と言われるほど
    都市開発を巧みに行っていましたが、
    バブル崩壊とこの震災で大きく状況が変わってしまいました。
    もう、震災の直接的な傷跡はほとんど残っていませんが、
    深層を見れば、まだまだ大きな爪痕が残ったままです。
    だからこそ、今でも1月17日には多くの人が
    この日になると慰霊祭をやるのだと思っています。
    神戸が真の意味で復興することを祈るばかりです。


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