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阪神・淡路大震災から26年 追悼行事、多くは縮小

朝日新聞デジタル
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  • 株式会社イマゴト 代表取締役

    【伝えなければいけないこと、繋げなければならないとこ】

    阪神淡路大震災から26年、神戸に住む人の半数は震災を知らないという。
    1.17でメディアが「過去にどんなことがあったのか」、「いまもまだこんな影響がある」などを特集してくれ、毎年この時期は改めて大災害を振り返り、考えるチャンスを与えてくれる。

    阪神淡路大震災の1995年当時は高校3年生で高砂市在住。大きく揺れたが被害はさほど受けていない。就職はその6年後なので復興のど真ん中に携わったわけでもない。
    でも神戸市の公務員になったことで各地で災害が起こると仕事として、またプライベートでも被災地に入ることがある。

    単純に「あの時はこうだった」を伝えるだけではもはや通用しないほど社会状況が変わってきている。
    ボランティア組織の充実、SNSによる情報の多様さ、高齢化による共助の弱体、、、東日本大震災のような津波、今のような感染症との複合災害、、、

    「何があったか伝えること」とのなかに「あの時の状況がこうだったのでこんなことが起こった、今ならこうなるかもしれない」という伝える内容にバージョンアップが必要だし、震災を知らない人たちは自分事と思ってくれいなだろうな。
    伝える人たちはそれも知って頑張っている。風化に対する情報の更新が不可欠ですね。

    ただ、1.17の現場に行くと(今年は感染対策で行かないけど)、理屈でなく肌感覚で災害が残した凄惨さとみんなの想いを感じられる。僕もここに行けたのは最近のこと。そこで感じたことが多い。この場の大切さが身に染みる。

    感染拡大の対策はほんとに大変だが、それでもこの場絶対に残そう!繋げなければならいと奮闘しているみなさんには尊敬しかない。今年も感謝して黙祷。


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    一社)広島県観光連盟(HIT) チーフプロデューサー 兼 常務理事事業本部長

    当時社会人3年目。引越したばかりの茨木市にて、食器の割れる音と大きな揺れに、訳もわからず飛び起きたのを記憶している。どうせ一瞬の出来事だろうと高を括り、電気もつかない、電話も繋がらないことに腹を立てていた自分が、とても恥ずかしい。

    思えば、価値観が覆るほどの衝撃を受けたのは、あの時が初めてかもしれない。高速道路の橋桁が倒れ、友人がマンションに生き埋めになり、街の姿が一変した。
    いつも当たり前に存在すると思っていたものは、当たり前じゃないんだ。初めてそう感じた。

    東日本大震災も、西日本豪雨災害も、そしてコロナも、自然や歴史が私たちに突きつけてくるテーマには、共通するものがあるのかもしれない。

    今あるものは永遠じゃない。
    だから、もっと今に感謝しよう。今を一所懸命に生きよう。
    改めて、あの時に思いを馳せ、そう自分に問いかけたい。


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    (株)TOASU特別研究員(経済評論家・コンサルタント)

    たまたま帰省していた家族が完全倒壊した家に埋まって掘り出される事態だった阪神淡路大震災。当時の写真を見ると、幸い全員無事だったのが奇跡のように思えます。
    運よく生きていた隣の建設現場の電話から東京の親戚に家人が掛けた一本の電話で精道小学校に避難して無事であることは分かったものの、アトランタ駐在中の私に国際電話で知らせてくれたその親戚も詳しい状況は分かっておらず、電話を受けた瞬間は、地震の少ない関西のことだし、家にヒビでも入ったかな、といった程度の印象でした。その後、CNNの画像と報道を見て驚いて、東京の勤務先に電話して六甲にある保養施設に入れてくれと頼んだら、現地とは連絡も取れない状況とのことでした。
    それでも何とか京都に部屋を確保してくれたので、手段を尽くして避難中の家族に伝え、辛うじて連絡がついて西宮まで動いていた電車で避難させた次第です。「精道小学校にいる間は関西一円が崩壊したと思っていたけれど、電車が動いて大阪に入ったら全てが普通に動き、人々が日常通り生活をしているのを見て驚いた」というのが避難直後の感想でした。情報が途絶する怖さを知りました。自ら被害に合わない限り、震災の本当の怖さ、大変さを実感として知ることはないのかもしれません。
    その後、東日本大震災から今回のコロナ禍に至るまで大きな災害がいくつもあったので、人々の記憶は次第に薄れて行くのでしょうが、風化させてはいけないように思います。そして、この場で書くと嫌われそうですが、当時、復興プランなしでドサクサ紛れに積み上げられた財源の多くが箱物主体のインフラ投資に使われて、結局無駄になったはず。新型コロナ禍で金額ありきの対策が積上げられる中、そうした意味でも、時を経たいま、もう一度当時を振り返り、復興策の当否を検証しておくべきじゃないのかな・・・ (・_・)


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    日本維新の会 参議院議員 兵庫県選挙区選出

    例年この日は、朝から「追悼式典」や「追悼法要」などに参列しますが、ことしは『緊急事態宣言』で規模が縮小され、参列せずに静かに過ごしています。

     26年前、私はNHKの新米記者でしたが、被災現場に入ったときの驚きは忘れられません。見渡すかぎり、すべてが被災している状況で、何から取材を始めたらよいのか分からず、途方に暮れた覚えがあります。
     
     被災者の声に耳を傾けながら、記事にしていきましたが、そのときの思いが、政治家としての礎にもなっています。
       
     そのとき記事にしたことは、その後、少しずつ実現されてきたと思います。
      
     一例を挙げれば、『生活再建支援制度』。当時は、壊れた家屋の補助について「個人資産に公金は使えない」という考えで、多くの被災者が苦労しましたが、その後、支援金が出るようになりました。
      
     この26年で着実に復興は進んだと思いますが、その一方で、街の活力が低下したり、風化が進んだりするなど、課題はまだまだ残っていると思います。
      
     そのうえ、コロナによる新たな課題も出てきています。例えば、避難所での3密対策や、分散避難のしかたはどうするのか?これまで議論されてこなかった問題で、早急に考える必要があると思います。
       
     『コロナ禍』は大災害にも匹敵すると思いますが、阪神・淡路大震災を乗り越えてきた兵庫だからこそ、必ず、この難局を克服できると思います。
       
     あす18日からは、国会が始まります。すべての人にとって、安心で安全な社会を作っていく、その思いを忘れずに取り組んでいきたいと思います。


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