【削除されました】養殖物2021年1月16日(土)
コメント
選択しているユーザー
おはようございます。
三島さん、受験生の皆さん共通テスト頑張ってください。
世の中には様々なポジションがあります。
震災のような被害は、被災地域全ての人に目に見える形で表れます。目に見える周りと自分の被害状況は場所に縛られるので良く似ることになります。
他方、コロナの場合は目に見える周囲との被害状況が合致しません。震災においても被害の裏には各ポジションの差異はありますが、一旦の落ち着きまでの期間は限定され、周辺地域資源とは支援と受援の関係になるだけで、対立関係にはなりません。
コロナは長期に亘り、モザイク状に被害がある形になるために、ポジションの差異も入り組んで露わになることになります。
どちらも存在する事情・構造は変わらず、ポジションの差異や格差もあるのに、露わになるから対立するということでしょうか。
見えなければ良いという話でもないですが、どうしようもない部分までが、半端に見えてしまった途端にお互いに何とか出来るとはずという不安の転嫁対象になってしまうのは皮肉な話です。
勿論、短期と中長期、災害の質でそもそも変えるべきものは変わるというのも確かです。しかし、どのように変われるかは既存構造の全てを否定しては副作用が大きいですし、だからと言って変えられる所がない訳でもありません。変えたからと言って、あるポジションからは甚だ不十分な変化でしかない事はあるでしょうし、ではそのポジションが被害の最も大きな当事者になったら柔軟なのか?と言えば大抵は似たり寄ったりでしょう。それくらい世の中は繋がっているだけに均質です。
また、どのポジションにおいても、現実に不満があって、いつでも変えられるはずなのに、属人的な障壁が原因の全てと思っている人もいますし、構造を重く捉え過ぎる人もいます。現実は意外と複雑ですし単純ですが、バイアスが掛からない意見はありません。
その中で、他者の意見やものの見方を情報としてしっかりと検討し、差異からくる感情をコントロールしながら、概ねコモンとなった対策を緩める言い訳に他者を使わない。それは、かなり難しい課題であり、緩む人の背景にある教育や日頃の不満の格差も半端な見えの中では査定しにくいものです。
しんどい日常が続きますし、日常が壊れそうな人もいます。本当に目の前の人に役立つ情報とは何なのだろう?と考えつつ、日々を過ごしたいものです。
注目のコメント
色々と最近変化が激しすぎて執筆中の原稿がちっとも纏まらず頭が痛いです。
いつも思うのは変化のベクトルというのは誰でもわかるけれど、それがいつ起こるのかはおよそわからないということ。
量子力学の位置と運動量は同時には確定できないみたいな話で、観測者ならぬ凡人にはなかなか確定的なことは言えないものです.
早すぎても遅すぎても予測は外れなわけで、この加減が難しい.
もう少し悩んでみます.
【今日の歴史】
BC27年の今日元老院はオクタウィアヌスにアウグストゥスの称号を贈り、歴史的にはこの日がローマ帝国誕生の日とされる。
この称号自体には本来名誉職的な意味しかないが、逆にインペラトールやカエサルのように一般的な役職や家柄を表す称号と異なり、皇帝しか名乗らない称号だった為、後にローマ皇帝をそのものを表す称号として使われるようになったのだった。モンテローザのプレスリリースを読んでいて、ほんとにモヤモヤしました。
ちょうど数日前にSNS繋がりの医者に「飲食店はダントツに感染リスクが高い」を繰り返されたばかり。
医者は「病院で救うべき命」しか頭にないから、たとえコロナの死者より余程多くの経済苦による自殺者が出ようが知ったことではないから勝手なことが言える。モヤモヤするのはそこです。
コロナで死ぬ4000人だけが特別なのか?
本当にその感覚が正しいのか?と。
医者は一種類の「正しさ」しか見ていないのではと。
一方で、時短には従わない、と確信犯的に語る飲食店主の記事もありました。
上場しているような大手チェーンには絶対に出来ない芸当です。そんなレジスタンスは許されない。その意味では零細個人営業には逆説的な「強み」すらある。
今の施策と、店舗休業を強く主張する人たちは、「お国のために死んでくれ。」と他人に強要しているのと何ら変わらないのだが、その自覚はあるのだろうか?
「救える命も救えなくなる」という美名のもとに、特定の命のために、比較にならぬほど多くの命や人生を犠牲にすべきと言っているわけなのだが、そこに微塵も「正義」も「合理性」も感じられない私は人格異常者なのだろうか?
などと日付の変わった深夜にやるせなさを発散させています。
こういうことにこそ、ストレス感じますね。
【追記】
法改正なら、むしろ、店の衛生基準に反する行為をする客を合法的に拒絶し追い返せるような何かを組み入れてこそ、店の管理責任を問う合理性が出てくるのでは。
きちんと対策している店においては悪いのはたいてい客なのでは。こんばんは.
昨日は,10月からお手伝いさせて頂いた区立中学校の「総合学習」のクラス発表会がありました.
1ヶ月前に体育館で,1つの班が6回発表してプレゼン力をトレーニングする機会を経て,本番を迎えました.冬休みを挟んでいるにも関わらず,発表はさらにアップデートしていました.特に素晴らしかったのは,発表の際に聞いている人たちの反応をしっかりと理解し,飽きさせないように途中でいくつかの質問を入れたり,新たな動画を差し込んだりと,単なる発表ではなく,いかに聞いている人たちの興味を引けるかを真剣に考えて本番までアップデートし続けたところです.
そして,中にはほぼ動画だけでプレゼンしてしまう班もあり,文字だらけのスライド見せる大人のプレゼンよりも面白いものが出てきました.
クラスの代表2班が決まり来週は学年全体発表です.
他にとても良かったことは,学校側が寒い日はコートなどのアウターをきて授業を受けてもいいと認めた上で,換気をしていたこと.
僕も甘えてコート着てお話しました.
どこかの学校で授業中のコート禁止みたいのがありましたが,是非見習って欲しいと思っています.
公立の学校だから一律横並びみたいな時代は終わっているということです.
皆さん本日も素敵な1日をお過ごしくださいね!