トランプ氏追放は「問題」=独首相、ツイッターに苦言
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これは、ヨーロッパと米国の違いですね。ドイツやフランスで主流の考え方は、表現の自由が制限されるべきではない、ということではなく、「表現の自由を制限するのは立法者のみであるべきだ」というものです。
ヨーロッパ式だと、政府が表現を制限するのはいいのです。実際、ドイツでもナチスや共産党の言論を政府が禁止して取り締まってきました。フランスでも、公的な機関を使って宗教の宣伝をしたら取り締まられます。
米国の場合、政府が表現の自由を制限することには、非常な反発があります。ナチスでも共産党でも、意見を表明するのは自由で、政府がそれを制限するべきではない、というのが米国式です。同時に、民間企業が自分たちの社内でどういう表現をするのも自由です。
この米国式の表現の自由からいうと、
× 政府が企業に表現の制限を強制する
○ ツイッター社が自社のプラットフォームを自社の判断で規制する
ということになります。
それから、米国の場合、政府による表現の統制はタブーであるため、ツイッター社やフェイスブック社に社会的圧力をかけて自主的に規制させる、というのが、社会運動の方法になります。この件、塩崎先生が説明しているようにメルケル首相がトランプ大統領のアカウント停止を単純に批判しているわけではありません。実際のところフランスの経済相も同様の発言をしています。
論点はその判断をプラットフォーマーが定めたルールに基づいて行うか民主主義のプロセスで定められた法に基づいて行うかです。
ここでキーワードとしてDSA(デジタルサービス法案)という現在EUが取り組んでいる大手プラットフォームを対象とした規制が出てきます。次のJetroの解説が分かり易いと思います。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2020/12/a65766d9a8242df7.html
今回の出来事に関連する点としては、DSAはプラットフォーマーに違法コンテンツに対するリスク監査やコンテンツの修正といった適切な措置を求めています。違反した場合は、EUではお馴染みの制裁金。
今回の出来事を受けてDSAを主導した欧州委員会のティエリー・ブレトン(サルコジ政権下の経済相)もPoliticoへ寄稿しています。
https://www.politico.eu/article/thierry-breton-social-media-capitol-hill-riot/
「水曜日の事件に繋がるフェイクニュースやヘイトスピーチを初めから防ぐことに何故失敗したのか?」と問いかけ、それらへの判断をプラットフォーマーに委ねるのでは無く、欧州の法と裁判が民主的なプロセスとチェックアンドバランスを通じて何が違法か定義するというDSAの考えを説明しています。メルケルからの指摘とは意外な角度からの指摘でしたね。
近年の世論の流れはGlobal Platformの健全化であり、この責任をPlatformerに持たせるということが主流でした。この流れの中では、暴徒を率いたとされるトランプ氏のアカウント凍結は当然ではありますが、欧州政府としては、Platformerが力を持つということ自体の方が問題であるということでしょうか。
官僚的な言い方であれば、政府がPlatformerへ指摘を行い、これを受けてPlatformerが準ずる形で応じる、というのを求めているのかもしれません