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私自身、小学校の勉強が「簡単だ」と感じてしまい授業を一切聴かないことが定着して中学2年生の時にどこでわからなくなったのか学力低下に気がつきそこからの勉強に苦労した経験があります。
小学校の時を振り返ると1分で理解する内容を延々と話しているという印象がありました。

アメリカに小4から中2まで行っていた帰国子女の同級生の中2の英語の授業の時もそんな感じだったんだろうなと近くで見ていて感じていました。日本人学校ではなく現地の学校に通ってた人がThis is a pen.から学ぶのはしんどいと思います。。。

飛び級はありだと思います。留年は現行の日本の制度では難しいかと。最低取得単位数みたいなので補うとかでしょうか。そうなると必ず知っていて欲しい学問が欠落する恐れもあり難しい問題ですね。
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日本だと、大学でさえ、ちゃんと授業に出て、よほどサボったり要領が悪かったりしなければ、4年で卒業できます。18歳になったら高卒、22歳になったら大卒、そして大多数が同年齢で一斉に就職する、というのは、社会の要請でもあったわけです。新卒一括採用が望ましい、という企業は、今でも決して少なくはないでしょう。
 日本では、成人しても中学校程度の数学や化学を理解していない人間がたくさんいる、というのは事実です。しかし、これは世界中の国も同様です。日本は、まだしも理解している人間の割合が高い方、つまり初等中等教育がうまくいっている、といえるかもしれません。
 教育内容を習得してからでなければ、進級させたり卒業させるべきではない、というのは一理あります。ただし、確実にいえるのは、本当にその通りにやれば、18歳になっても中学校の授業内容にたどり着かない日本人がたくさん出るだろう、ということです。
 たとえば、フランスでは、義務教育は16歳までです。中学校を卒業するのが義務、ではなく、到達した内容は小学校段階でも、とにかく16歳までは教育を受けるのが義務、という意味です。その制度だと、16歳まで学校に行って、受けた授業は小学校4年生のところまで、というフランス人がたくさんいます。
 確実に修得していなければ進級させない、という制度がそんなにいいものなのか、疑う余地は大いにあります。間違いなくいえるのは、小学校水準までしか教育を受けなかった人たちと、大学卒業までたどり着いた人たちでは、同じ国民であっても非常に大きな格差ができる、ということです。実際、フランスはそうなっています。
これだけじゃない。たとえばアメリカの大学生は一年生の時からインターンを取るのに必死。なぜかってそれが就職にダイレクトに響くから。そのためには良い成績が必須。4年間、競走にさらされ続けます。4年間遊び呆ける多くの(でも全員ではない)東大生と差がつくのは必然。
日本の教育への考え方を そろそろ見直しても良い時期。 極度の年齢主義と、理解していることより履修履歴があればよしとする評価軸。 これらが学びの目的を曇らせてしまっている。
進度も理解度も生徒それぞれ違うので、飛び級、再履修をうまく取り入れてはどうだろうか? 再履修については 単位制にすることにより、必要にある科目のみを対象にしてはどうだろうか?
飛び級の効用は海外の事例もあり、早急に実施しては。
現職、高校教諭です。
私も日本の「超履修主義」的な風潮、文化には非常に強く疑問を感じています。言語化し可視化していただいている記事に感銘を受けましたのでPickさせていただきます。

私からは現場の状況を。
実際に、卒業判定会議に出席する場合、その焦点は「学力」ではなく「出席日数」です。私立高校ですので、公立高校に大方準じる形で規定されています。基準を細かく書くことはできませんが、その多くは学校に足を運べば、ほとんど話を聞いていなくても卒業できる仕組みになっている。生徒には言いませんが、教員間では周知の事実です。

これは、社会人となった際にも、取り組む姿勢に表出する場合が多いように感じます。できる限り楽をして、首を切られないように生活する人間の多いこと。平和ボケと表現されることもありますが、本当にボケていると思います。鋭い感受性が育たない、と言うより鈍感です。自分の能力が足りていないことに気づいていない。気づいていたらまだ救えますし、学ぶ意欲を持ち合わせる可能性があります。しかし、日本には無知のスペシャリストが多い。
教育界に問題がある。私たちが変革していくべきは、授業内容よりも、はるかにマクロ的な部分、この「超履修主義」なのかもしれません。
「学歴」について、日本での位置づけは国際標準とはかなり異なります。国際的には、最終学歴で評価されるので大学院修了と大学卒業では価値が異なるとみられ、各種技能取得も高く評価されます。そのため、良い職に就くための生涯学習が盛んです。個人のキャリアのストーリー性も重要です。

日本では、領域によっては、大学院の価値が必ずしも高くなく、新卒就職に悪影響があることすらありました。高度な学問や見識を習得してもそれを生かす機能が採用する企業側に備わっていないことも少なくなく、そのような背景からも大学院での訓練が敬遠されていた事情がありました。これが、近年、企業が高度な能力を必要とする領域での国際競争に敗れる原因になっていると思われます。

日本でも大学間格差は認識されています。しかし、日本の大学は国際的な標準と比べて「極めて簡単に卒業」でき、「卒業研究」をとらずに座学のみで卒業可能(しかも単位取得が簡単)という大学が多く存在します。一般入試での入学者が学生の半分に満たない大学も少なくなく、合格のハードルさえ一律ではありません。これらから、大学名で能力を測ることはかなり難しい状況になっています。実際、同じ大学でも、卒業時点での能力には驚くほどの差があるというのが現実です。

企業の採用担当者であればこのことも十分知っていますが、企業側はこれまでの前例に倣い、新卒採用なら既成の企業研修プログラムにのせることができるので大量教育が可能なこと、昇進に年功性があるので昇進管理が楽なこと、そもそも新卒に高度なことをしてもらうポジションが充てられるないのでゆっくりと企業内教育が可能な採用を優先している結果、旧態然のまま変わりません。(もちろん例外もあります)

日本企業が国際競争に勝てないことの、高等教育がらみの理由は、大体こんな感じです。
教育の年齢主義をなくすには、科目ごとの単位制にするとよいでしょう。英語は高校生レベルの授業を受けて、数学のクラスは小学一年生と一緒であってもいいと思います。重要なことは内容を理解しないとその先に進ませないということであり、できる子にはどんどん先に進むことを許すということですが、それは科目ごとであってよいということです。それも個性ではないかと思うからです。義務教育は教育を受けさせる義務であり、進級させる義務ではありません。
飛び級と学び直しは2つ大きく違うテーマですよね。

飛び級に関しては、学力だけでなく、子どもの心身の発達段階の課題もあります。1学年程度であれば誕生月の関係もあるので飛び級をしても大きな問題はないでしょうが、数学の天才児といったお子さんの場合、社交的には学齢レベルだが、数学については個別の支援が得られるなどの対応を考えるべきかと思います。2-3学年が同クラスで学ぶモンテッソーリ教育やイエナプランのような学び方も、学力の凸凹をそこで回収しながらも、社交的には近い年齢のお子さんとも交われるという方法もあると思います。

2年程度でなく学力が特定の分野で飛び抜けるというお子さんについては、ギフティッドプログラムなど、別のプログラムを考えるべきかと思います。

逆に学び直しが必要なお子さんについての支援については、やはり幼児期からの家庭教育や、学習支援など、学級だけでない幅広い支援対策が無いと、学校で子どもが過ごす時間というのは限られているので、習得主義にしたからなくなる問題では無いと思います。
「変えられない」から「変える」へ。

下の学年の子と机を並べるのは可哀想というが、無条件で進級させられると、ついていけなくなる可能性もある。

それが原因で、ドロップアウトしてしまう方が、人生において可哀想なのでは。

社会人になり、就職して、出勤さえしていれば給料がもらえる。同期入社の社員とも差がつくのはほんの一部。

そんな大人たちも、ジョブ型雇用の時代になると大変だと、ワサワサしている。

子どもたちが大人になって、たくましく生きていけるようにしてあげるべきでしょう。

横並び主義などの固定観念や慣習を、すぐにでも変えなければいけないのは教育現場。

柔軟な発想で、積極的に教育を変えることが、日本の未来を拓く一歩ですね。
ITやAIを使う「個別最適な学び」アダプティブラーニングを教育に導入することが求められている。すぐさま飛び級の議論に結びつく。義務教育での落第は日本の風土に会わなくとも、飛び級は認めるべき。
むかしMITに参加した時、オマエ子供だよな?と思う学生がたくさんいて驚いた。超優秀な若い世代の時間を摩耗させず発揮させたい。
(iUでやってみたい。小中高生に先行合格を出して、履修者に仮修了を出して、ホントに入ってきたら即単位認定、みたいな。文科省に叱られる?)
粒の揃った生徒を教育するシステムから、個性や多様性を活かすシステムへの転換を急ぐ必要があります。例えばアメリカでは幼年期に女の子のより男の子の成長が遅い傾向があるため,早生まれの男の子の小学校入学を一年遅らせることはよくあります。又、IQの高い子供が特別な教育が受けるれる公立の小学校もありますし,飛び級も珍しくありません。年齢に縛られず,個々の生徒の特性にあった学習環境が必要です。