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ネパール政界混乱 共産党内紛で中国調停、インドも注視

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  • 食@南アジア

    2001年のネパール王族虐殺事件の舞台を描いたミステリー小説「王とサーカス」で主人公のタチアライがとある殺害事件の真相に迫る際、虐殺事件で偶然警備をしていたインド帰りの軍人にこう言われるのですよね。

    「インドはこの国との関係が深い。中国もそうだ。(中略)だが日本はどうだ?お前は私が見聞したことを話すと、日本がこの国に何かしてくれるというのか」

    今回の内紛は前回総選挙で現オリ首相率いるUMLがプラチャンダ(文中名称ダハル)率いるマオイストを実質吸収合併し、現与党が誕生のうえ、首相任期を分け合う取り決めに合意。それを今回、オリ氏が反故したことに起因しつつ、国境沿いでインド人のレイプ犯罪が続く、公共事業が終わらない、農家への補填はされないという身近な生活に対する不平不満の積み重ねが身勝手な政治の混乱に乗じて爆発しかけているだけ。市井の人々は決して見えない二巨頭の影。

    2008年に終焉をしたネパール王国は18世紀末に建国されつつ、王族に求心力がなく且つ政治に翻弄されるのは建国以来、20世紀半ば英国に追放されるまで宰相である「ラナ家」がネパール王国を支配したことによるもの。王政復古として担がれる前国王のギャネンドラは王族殺害事件の影の主犯と未だに言われ(共産化を恐れるインドのインテリジェンスRAWの犯行と言われています)、1975年にインドに併合された旧シッキム王国の二の舞にならないとする国家像とチベット動乱の影響を最小限にしたいとする国家像のアンビバレントな世界が未だ続いています。

    一方、ネパールは世俗国家となり、多民族多宗教国家の道のりを確実に歩んでいるなか、憲法改正が必要な王政復古となることはまずあり得ない。ヒンズー教を国是とすることは国家の後退を意味するから。ネパールに長期安定政権というのが馴染まなかった、政治は権力闘争に回帰をした、国民は政治に期待をしない、よって出稼ぎ労働者として外向き思考になる。最後のピースがコロナ禍で塞がってしまい、この状態。デッドロックですね。

    個人的にはネパールは中国ではなく、インドに寄っていく政権が誰になろうと築かれると見立てています。中印を除けば朴訥な農村国家なのに。


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