「プログラミングが得意な子」の意外な共通点
東洋経済オンライン
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うちの娘は高校生になって「プログラミング教育」のスクールに通うようになって、それまで決められなかった自分の将来を積極的に考えたり語ったりするようになりました。大学の志望校を自分で決められたのも(文系学部でしたが)プログラミング教育で社会の様々なことを考えるようになったからだと思います。
記事にもありますが、現代のプログラミングは昔のようにパソコン画面で計算結果を見るものでなく、スマホで動かすアプリづくりがベースになっていることが大きいですね。
プログラムの実装をするタイミングで自然と「いま目の前にある問題」をどう解決するのかを考え、快適に使ってもらえるかまで考えなくてはならない学際的教育なのです。アルゴリズムや関数と戦った親世代の「プログラミング」とは似て非なる世界。
すべての小学校でそういう方向の教育ができるのかはわかりませんが、大いに期待しています。現役のプログラマやってますが、今まで「プログラミングを勉強する」という意識はなかったですね。
そこに「目的」があったから、それを実現するために必要な「部品」を集めていったというイメージですね。
集めたものは「部品」なので、最初は見た目も悪いし、壊れやすいです。(サンプルの寄せ集め、バグの包含)
それを見た目もよく頑丈にするにはどうしたら良いのかを考えました。(可読性やメンテナンス性の向上)
そうやって目的を持って取り組むことと、もっと良くするにはどうすればよいかと考えられるか、親や学校で与えられた課題だから仕方なくと捉えるかの違いで向上するかそうでないかが決まるんだと思います。
これはプログラミングに限ったことではなく何に関してもだと思います。