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「ポスト真実」の時代に、情報の本質を見抜く力とは?

NewsPicks編集部
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    静岡県立大学国際関係学部 准教授

    メディア、あるいは個人が、自分の立場や主張を持っているのはかまわないし、当然のことです。宗教や政治的な目標を持っていてもかまいません。ただ、問題は、「事実ではないことを事実であると言い張ってはいないか」ということです。
     「事実ではないことを事実であると言い張る」と信用を落としてしまう、という基準が社会に普及しているかというと、これは社会によります。欧米でも、ナチスや共産党が政治目的でデマをバラまくことで躍進した例もあります。前近代も、もちろん同様で、ドイツの宗教改革の時などは、地獄のようなデマ合戦でした。
     マスメディアにしても、その登場以来、「事実でないことを事実であると言い張っていた」ということは普通にありました。別に1930年代に新聞がおかしくなったから、日本が戦争した、ということはなく、新聞というのは明治の頃から、そういうものでした。
     メディアが「ファクト」にこだわるようになったのは、一部の国でクオリティ・ペーパーと呼ばれるものが登場してからでしょう。その拠りどころは、主に科学でした。いい方を変えると、19世紀の後半から、「ファクト」を独占しようとする特権階級が現われて、その言論プラットフォームとなるメディアが現われた、というふうにもいえます。
     結局、「ファクト」を旗印にした権力・特権をめぐる争いなのではないか、というと、かなりの部分はそういえます。ただ、そういう政治とは別に、「ファクト」が追求されることは、社会や世界に長期的な利益をもたらしうる、ということもあります。
     フランス革命あたりから、「ファクト」は、民主主義、言論の自由、科学の進歩、などの争点になってきました。きっかけは、科学という「ファクト」を検証する強力な方法の確立です。それまでは、世界の地域ごとに、宗教などが「ファクト」の基準でした。ただし、科学が適用できる対象は限られていて、経済や社会、政治のことは科学ではあまりわかりません。
     「ファクト」と民主主義、メディア、科学などをめぐる争いはまだ続いていて、おそらくインターネットや中国の台頭などで、パワーバランスが崩れてきています。「ファクト」に意味はありますが、19世紀にできたクオリティー・ペーパーをプラットフォームとした層の方法(日本のメディアも戦後はそれに乗ろうとしたわけですが)が通用し続けるとはいえないでしょう。


  • NewsPicks 副編集長

    今日から1週間、【「変わりゆく世界」の必読書】と題したブックガイド特集をお届けします。
    各界でご活躍の皆さんに、お1人1テーマで「今、読んでおきたい5冊」を挙げていただくこの企画。選書のラインナップを見るだけでも「現代の論点」が浮かび上がってきます。

    第1回は、ジャーナリストの立岩陽一郎さんに「ニュースを見る目」を養う5冊を挙げていただきました。「自分の立ち位置」を離れてニュースを見る態度が必要だというメッセージは、この分断の時代にとりわけ重く響きます。


  • 農業 理学

    正直、結局どれもこれもただのポジトークなんじゃないかとしか思えないです。
    でも、ポジトーク出来ている人はまだマトモです。殆どの人(おそらく私も含めて)は、「それはあなたの為でもある」という言説を信じて、自分にとって不利になるようなことまでポジトークとして話している人がとても多い。

    「真実」は各人にとって変わりうるものです。それは各人にとって、どのような状況が有利であるか、ということが変化するからです。ポジションがそれぞれ違うからです。
    コナンくんのいつも言う「真実はいつも1つ!」という言葉こそ、最大のフェイクであると思います。多少お前が損するとしても言うことを聞け!そういうファシズム的な意志がそこには働いています。


    メディアの人達に対して不公平を感じるときというのは、それぞれの記事を書いている人達の「ポジション」、つまり「どんな状況が自分(情報源・記事の書き手)にとって利益をもたらすか」を十分に明らかにされていないうちに、「これが真実だ」と言って回られている時です。
    日本のメディアなんかは特に酷くて、記事に署名すら無いものがとても多い。それを書いてるお前は一体どこの誰なんだ!って小突き回したくなる。意識が凄く低いと思います。


    なので「フェイクニュース」というのは、マスメディアであれ、SNSであれ、沢山あって当然です。
    それは、沢山ある「お前はこうすべき」という言説に対して、「嫌だ!」ということなんですから。
    むしろ自分の政治力を発揮している瞬間、もしくは他人の政治力に抗っている瞬間と言える。
    フェイクニュースは無くせるものではない。そこにいつもあるべきものです。
    この世の中に、もしくはあるメディア媒体から出てくる情報の中に、自分にとってのフェイクニュースが何も無い、という状況の方が、ずっと不自然です。
    それらは本当にあなたにとって真実でしょうか?単なる思考放棄になっていませんか?

    真実を見極める目、というのは、自分のポジションをよく知り、情報源のポジションもよく知るということでしょう。
    この方は「自分の立ち位置から外れろ」と言いますが、そのような振る舞い方を強いるのならば、それは横暴だと思います。むしろ、それぞれの立ち位置を強く意識することが基本的に大切です。その場のノリに流されてはいけない。

    あなたにとって大切な物を大切だと言う。それが「真実」です。


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