【塩崎悠輝】イスラーム移民問題に終わりが見えない構造的理由
コメント
選択しているユーザー
注目のコメント
移民といえばイスラーム、というくらいに、両者のイメージが結びついているのは、主にヨーロッパでしょう。移民と難民という人の移動は、今や全世界の課題です。しかし、それがイスラームと結びつくのは、やはりヨーロッパで顕著です。米国では中南米からの移動が最も多く、日本だと中国や東南アジアから移動してくる人々が大多数を占めます。
ただし、ヨーロッパに入って来る移民がイスラーム移民ばかりかというと、そんなことはありません。2019年にEUに入ってきた、留学や一定期間の就労も含めた広義の移民は220万人でした。その中で最も多かったのはウクライナ人で、75万人でした。一方で、2019年のEU内の難民申請者は約70万人(2015年は125万人)、一番多かったのはシリア人で7万5千人、二番目はアフガニスタン人で5万4千人でした。
ちなみに、日本では2019年の難民申請者は1万375人、申請者の国籍で多かったのは、スリランカ、トルコ、カンボジア、ネパールでした。日本とヨーロッパでは、地理的な位置も、イスラーム世界との歴史的な関わりも、難民認定制度の運用も、非常に異なります。
ヨーロッパでは、イスラーム移民というのは、移民全体の中では過半数を占めているわけではない、しかし、難民申請者の中では半数以上である、といえます。移民・難民の大多数がイスラーム移民であるから問題である、とはいえません。ウクライナ人の移民は人数からいえばもっと多いのですが、イスラーム移民ほど問題視されていません。
イスラーム移民が問題視されがちなのは、やはりディアスポラとして共同体を形成しやすく、同化しにくいからでしょう。そのカギとなるのは、やはり宗教であろうと考えられます。この問題は、ヨーロッパでは7世紀から続いてきたことです。戦争を繰り返して、スペインやシチリア島、ヨーロッパ南東部、中東の地中海沿岸を取ったり取られたりしてきました。こういう地中海世界の歴史的な人の移動が現在まで続いている、ということを前提にしておかないと、今起きているイスラーム・ディアスポラの移動の何が問題なのか、ということも見落としてしまいます。宗教・紛争・歴史・社会構造…それぞれ片方だけの切り口で見ても見誤る移民・難民問題。
一人ひとりは同じ人間。しかしながら、国家や言語含めた固有の文化を持った民族という枠組みがあるだけに、生活圏(土地)の移動はたやすくない。
人間の感情、レガシーやアイデンティティの保全に対する固執、国家のエゴなど、高い障壁がある中、ダイバーシティや融和、平等…という概念は言葉で言うは易く、行うは難し。移民として実感します。根本的な解決は,ムスリムの方々が暮らしやすい街,国が,もっと経済発展する事...しか無いと思います.
この場合の移民は,「暮らし易さ」を求めて欧州諸国に来る訳ではなく,「仕事」や「治安」「自由」などを求めて,止む無く来る人が多い.
でも,基本的な休日として,金曜休みの人たち...と日曜休みの人たち...
男女の区分けが厳しい人たちと男女同権を推進する人たち...
国では気にする必要も無かったハラールフードを,探さないと食べられない...
単純に暮らしづらいです.それはお互いそうだと思う.
宗教で差別はしなくても,日常習慣が違う事により,軋轢が生まれる.
移民を,社会が招き入れられる量の限界があるのだと思います.でも,それ以上の数の人たちが,欧州に来てしまっている.
なので,欧州が解決策を産める...とは思いません.それより,トルコやインドネシア,マレーシアの経済発展の方が,余程期待出来る解決法だと思います.