「コロナで会社に行けなくて寂しい人」はさっさと考え方を変えないとヤバい
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環境が変化するときは、変化した環境に(潜在的に)適合していた人がいっきに出てくる気がしています。つまり、従来が無理、今が自然、という人たち。端的にいうと「陽キャ&ヒッキー」の時代なのではと思います。
今までは、ヒッキー=陰キャ 社交的な人=陽キャ という固定観念がありましたが、別に暗くはないが籠もって作業していたい、という層は相当数いたと思います(実は私もそうです)。ただ、ずっと引きこもっていると陰キャだと誤解されてたら困るかなと思って人工社交性を培っていたりしていました。
そう考えると、社交的だが実は陰キャという層もいて、この方々が今回いちばんつらいのではと思っています。
注目のコメント
私は、ここに書かれているような意味で積極的に人が選んで生きるということは、無理だし、不自然だと思います。
我々は、生まれてくる時、親も土地も国家も時代も、積極的に意志で選ぶことはありません。生まれてくる時に限らず、一日一日生きる上でも、積極的には意志でコントロールできない環境変化の中で生きていくしかないです。その中で、意志とは無関係に、いや意志までも、まわりの環境によって決まっていくものです。
その中でも、よりよい生き方もあれば、うまくいかない生き方もあり、多くは環境に対する反応の習慣によって決まっています。いわば幸せな習慣と不幸せな習慣です。
この反応の習慣の大部分は、生化学反応で、旧石器時代に我々の中に構築された人類のOSです。これは、地道に日々習慣づけることで矯正し、よりより方向に変えることは、多少可能ですが、そうでない部分も大きいのです。
その意味で、この記事の議論は、自然の摂理に反したすこし頭でっかちな論理のように思います委ねて、与えられることに慣れないようにする。
与えられるのではなく、自分で手に入れることも大切ですよ。
会社のコミュニティへの参加など、当たり前だと思わない。自分の意志を持ち、判断して行動しましょう。コミュニティに対する考え方は色々あると思いますが、確かに受け身の形でのコミュニティではなく、益々自分で選択してコミュニティに属する形になるのだとは思います。
コミュニティに積極的に属したい人は自ら行動にうつしますが、そこまでではないが繋がりたい人にとって、そのコミュニティの幅広い選択肢を出してあげるような動き方をしたいと思っています。もちろん、選択で自由ですから、属するもの属さないも、また主体で動くか、ただ情報だけを得ている関わり方か、全て自由です。しかし繋がったときに得られる新しいファインディングはあり、そこでまた視座が変わることがあります。
メンバーとお話しすると、毎日の会社に物理的にあえて行きたいと思ったことがないのに、リモートワークがこんなにも続くと、会社に出社したいと思うことが自分に来るとは思わなかったなんて言葉を聞きました。これも改めて気がつかない会社のコミュニティという場への価値に気がつくきっかけかもしれません。