池上彰さんが考える「小説を読んで泣いたことがない」人の問題点
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ごく個人的な見解だが、アニメやゲーム、映画や動画は頭を使わなくても情報を容易に摂取できる一方、小説については理解して脳内で映像化して物語を楽しむのにかなりのエネルギーと時間が掛かる。
この文章から映像化のプロセスが想像力の源泉になっており、情緒的読解力も養われると思うのだが、アニメや動画の乱造、触れやすいプラットフォームの拡大に伴い、そのプロセスを経る機会が減少して今の状況になっているのではないか。
これは良し悪しの話ではないとは思う。
脳内の映像化されたイメージ(人によっては映像化じゃないのかもしれないが…)を直接他者に伝達するインタフェースが確立されたときには文章というインタフェースは不要になるのかもしれない。
ただ、おそらくその状態になるまでにはまだまだ時間が掛かるはずで、少なくともそれまでの間は情緒的読解力も鍛える必要はあるように思う。
注目のコメント
良い小説をたくさん読むことで、学生時代にあまり学ばなかった身としては、論理的思考、情緒的思考など多くの事を学びました
現代のリベラルアーツは、話や書からの読解力、論理的思考力、相手に伝えるコミュニケーション力だと思っていますが、かなりの部分を小説から学べます。私はこれらの基礎力を培っていたので、基礎教養は低いですが、難関国家試験といわれる中小企業診断士にほぼ独学で合格することができましたタイトル煽りすぎ。
そもそも泣けるほど相性の良い小説なんて一握りで、散々読み散らかしてごく稀に出会えるくらいだと思う。運も大事。
追記: タイトル変わったようです小説にもいろんなものがある。
短編小説の研ぎ澄まされた表現。映画のような場面転換で繰り広げられる状況の切り取り。伏線を散りばめた長編小説のドラマティックな筋書き。歴史小説やノンフィクション小説は作者の調査の細かさとそれをつなぎ合わせる想像力に感服し、人間の心理を切り取る作者の視点にドキリとしたり。
ただ楽しむために読むのもよいではないですか。
どう読むかより、本当に良いものに出会えるかが大事なのかと。