世界は「低速」へ。交通事故はゼロにできるのか
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本題からズレますが、なんとなくエコとか安全とか社会貢献的なものは機能重視でデザインが後回しにされがちですが、こういった社会を変えようと思うものこそ、みんなが憧れるような徹底的にデザインされ尽くしたものであるべきだと思います。
パーソナルモビリティでの移動がもっと普及したら中・短距離は20km/hというのが普通になる可能性はあると思います。
渋滞とか予測できないとセカセカしますが、自動運転で正確に到着時刻が予め分かっていて、車内でも多様なアクティビティーが可能になっていけば中距離は20km/hでもいい気がします。
EVになり、ソフトウェアで動くクルマになれば、例えばある区域内に入ったらGPSで検知して、自動的に20km/h以上でなくなるようにすることも可能かと思います。
以前アウディとBIGが人とモビリティの共存できる街の一つの姿として歩車道が溶け込んでいる世界を描いていましたが、あれも想像力を刺激されるものでした。
https://www.archdaily.com/77103/bigs-proposal-for-the-audi-urban-future-award
そして、この20km/hの世界が広がってきたら、より水路のモビリティもより注目され、東京や大阪などの優位性は高まると思います。ヘルシンキ在住です。
記事に記載ある通り、ヘルシンキでは「低速」志向が強いですが、これは自治体の規制イニシアティブよりも、そもそものフィンランド人のマインドセットによるものが大きいです。
ヘルシンキ含めフィンランドの都市は、他の欧州都市に比べて信号が少なく、これはフィンランド人がそもそも市街地では常に歩行者を意識してスピードを出さない、横断歩道が見えてきたら減速するということが当たり前になっています。歩行者>自転車・電動スクーター>車という序列がはっきりしています。
また、ヘルシンキ市内で走っている電動スクーターも交通量が多い地区に入ると自動的に減速(出せる最高スピードが自動的に落ちる)する設定となっているため、電動スクーターと人との接触・事故も少ないのが特徴です。イヴァン・イリイチが指摘したように、人類社会の都市交通は「もっと速く」という方向で進化してきましたが、速さはある一定の水準を超えると、様々なレベルでそこに住む人々の人間性を毀損していきます。
確かに、世界各国であえて低速ゾーンや歩行者との混合交通を導入することで、事故をへらすという取り組みがされていますが、行政が街づくりや土地利用に対して強い権限を持っていないと、なかなかこうした改革はできないですよね。
こういう提案があるとすぐに、低速車を一部の交通流に導入することで発生する渋滞のコスト計算、みたいなスタディになってしまうのがあるある。
そして、地方では既に自動車がびゅんびゅん走らないと生活ができない構造になってしまっている。
都市部への自動車乗り入れ規制をして、もっと近くに住んだらいい(要するにコンパクトシティ)わけですが、日本の都市計画は数十年これを目指してきて失敗しました。