「松茸の土瓶蒸にタバスコをふりかけるようなもの」 名だたる企業が“サブスク”に失敗するワケ
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家具サブスクは正しく提供されれば、ユーザーにとっては「松茸の土瓶蒸しにスダチをかけるようなもの」。
一方で、単なる割賦払いと変わらない”なんちゃって”家具サブスクのサービスも存在しますが。
正しく提供するにはシステム開発、ものづくり、オペレーション構築、資金調達とハードルは高い。しかし、このハードルを超えた先には素晴らしいユーザーベネフィットがあると信じています。
CLASは唯一本物の家具サブスクの提供者として、自由で軽やかな世界の実現を目指します。
注目のコメント
バズワードをdisっておいてパストフルネスとは。
バズワードってアナロジーだし、様々な解釈や妄想の余地があるからバズワードなんであって、サブスクリプションの限界費用や継続使用の理由を説明せずに、歴史に学べというのは乱暴な気がしました。
つまり新たなバズワードを生み出している時点で、批判が自家撞着してます。過去に学んだのはAdobeやNetflixであって自身が学んでいるのか?
アナロジーとしての松茸の土瓶蒸しにタバスコというのも、学者が使うにしては乱暴。
結局言いたいことが歴史に学べということだけなら、ご自身は学んでいらっしゃるんてすか?と返して終わります。
本質直観について、とても重要なことを言おうとしているように思えるので、中途半端な事例やアナロジーを出して欲しくなかったですね。
サブスクリプションの本質は、常連客に向き合い続けることと、常連客を持つために必要なことを考え抜くことで、歴史など大それたことを言う必要はなく、顧客との記憶を持ち続けることに尽きます。表現などはともかく、歴史やその合理性、成功したものと失敗したものの共通点・差異点など本質抽出をせずにバズワードに経営が事後的に飛びつきすぎ、というのは個人的にはとても共感する。
新しいものに分からずとも飛び込むことも重要ではあるが、そうであればバズワード化する前に飛び込む体制が重要だし、失敗を許容しそこから学ぶ組織体制、それを可能たらしめる「稼げる体制」が必要。
日本の場合は、どちらかというと改善イノベーションの方が雇用・意思決定構造として得意。生産現場の継続的改善によるコスト効率をこれだけ追求できる国も少ない。そこに、研究所的に異端の人が一部だけいて、とんでもないイノベーションができる体制を許容すること、ただしそれが一部企業で過去起こってきたような無法地帯として膨張してコスト構造として本体にリスクを及ぼすレベルにまでならないこと、これが勝ち道だと思っている。
歴史をさかのぼれば、富士通の中でファナックが誕生したこと、ホンダのホンダジェット、もう少し外角の領域ではソニーというかソネットがエムスリーやDeNAのインキュベーターとして機能したことは、こういう文脈だと思う。