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物理的移動を前提としない社会風景ー「ローカル・ケイパビリティ」の可能性

最近、あらゆるところで「ローカル」という言葉が鍵になってきています。ソーシャルイノベーションからラグジュアリーに至るまで、ローカルが問い直されています。リアルの重さというべきか、グローバルの対立軸以上の重さを実感しつつあります(およそ、重心移動の真っただ中の時期は、そう感じるものですが)。

11月10日、世界経営者会議でカルティエ社長のシリル・ヴィニュロン氏がパンデミックで店頭販売は厳しい状況におかれたが、オンライン販売は3倍の売り上げになったと語っています。

もちろん、これはカルティエだけの動向ではありません。10月にグーグルとベイン&カンパニーが主催したファッション&ラグジュアリー・デジタルサミットでも同様の傾向が報告されていました。パンデミックのために相対的にオンラインに軸線が傾いただけではありません。特に欧州と米国市場においてはマスやプレミアムというレイヤーと比較しても、オンライン販売のシェアの伸長がより顕著なのがラグジュアリーです。こういう時だからこそ、買うなら評価の定まった良いものを買っておきたいということです。その証拠にオンラインリサーチのシェアでは、逆にラグジュアリーはマスやプレミアムと比べると低いのです。マスやプレミアムは事前調査に時間をかけるわけです。

さて、一方で不動産価値の高いファッションストリートでの買い物経験はどうなるのでしょうか?また、パンデミック以前は旅行者であふれかえっていたあの風景がなくなった今、何を考えるべきなのでしょうか。今回のテーマはローカルの再検討です。

自宅近隣の空間の重視

話はとても小さな小さなサイズからはじめます。

世界中のさまざまな都市で名称は異なりますが、近隣のコミュニティの再構築が図られています。パリやバルセロナでは15 minutes city との名で徒歩15分圏内を「住みよい」ゾーンとするような取り組みがされています。15分でおよその用事が済ませられるようにすることで、徒歩や自転車移動が促進されます。結果、自動車から排出するCO2が抑えられるわけです。また(近郊も含め)都市内の各ゾーンが平等な地位を獲得することで、いわゆるベッドタウンといわれた単一機能のゾーンが減り、犯罪が多く危ないと見られる地域の解消も目指します。つまり都心の一部の特権的な地区を対象にしたプロジェクトではありません。 

今年に入り、このコンセプトがより注目されるようになりました。パンデミックの影響によるロックダウンで問題になったのは、スーパーのオンライン販売の普及もさることながら、「ちょっとした買い物や世話」をお隣さん同士でお互いに助けあえる人間関係です。いくら世界中にソーシャルメディア上のたくさんの友人がいても、体調があまり芳しくないときに近所の薬局で薬を買ってきてくれとは頼めません。また、やたらオンラインに頼れば、そこで実際に配達する人たちの移動が発生します。よってリアルな距離のなかでの付き合いが不可欠であると人々は気づいたのです。

他方、これは人間関係が希薄になりがちな都市だけの問題ではなく、地方の山間にある小さな村においても同じです。かつてなら伝統的なつきあいのある「(やや嫌悪感を込めた)近すぎる」関係がありました。確かに困ったときには面倒をみてくれる人が(お節介にも)飛んできてくれたでしょう。さすがに、そのような閉じたコミュニティは徐々に減りつつあります。何百人しか住んでいないような村でも、誰が何をやっているか知らない。挨拶すらしない、ということが増えていると聞きます。

したがって、このような小さな村でもWhatsappのようなSNSアプリで情報交換しながら、旅行中に犬を預かってもらったり、少し離れたスーパーに行く際に車を相乗りするような生活が展開されています。緩い関係の生活圏というわけです。都市か村かを問わず、「過ごしやすい」生活圏の(物理的及び心理的)適正距離が関心の的なのです。

別の観点からもローカルを語りましょう。

スローフード財団のローカル維持の取り組み

1989年、イタリアの北西にあるピエモンテ州ではじまったスローフードという運動があります。ライフスタイルの変革を目指したものです。

当初はイタリア食材の輸出を促進することに熱心でした。が、地産地消を掲げながらの輸出促進は矛盾です。今世紀に入り、彼らが世界各地で進めているのは、それぞれの地域にある食材や技術を保護して、かつ経済的に成立するようなサポートをしていくことです。

ここで欠かせないポイントがあります。対象となる食材が生産地で販売が芳しくなく、遠隔地でよく売れるというケースはサポートの対象になりません。地元の人たちが日常生活のなかで有難きものとして大事に思い、実際にそれで(貨幣を伴うかは別にして)売買が成立することを重んじます。それに加えて観光客が買っていく、オンラインで遠くの人が注文するとのステージが構想されるのです。「ああ、あれね。地元の人は誰も買わないよ!」というのはダメです。地元の人の舌を満足させてなんぼです。外に全面依存する文化は脆弱です。

因みに、この活動は欧州ならバルカン半島でも盛んになっています。どうしてバルカン半島かと言えば、ここには豊かな農産物があります。チーズ、ハム、ワインは南欧のギリシャ、イタリア、フランス、スペインといった国々の農産物が世界中でブランドとして通用するなか、大手流通業者が「次なる産地」としてバルカン半島に目をつけているからです。仮に大手が生産者に対して主導権をもつと量と価格が第一優先になり、それによってローカルの生産者のもつ潜在力が損なわれる可能性が高いのです。本来、質で勝負していれば適切なサイズでバランスのとれる生活ができるのに・・・。

ラグジュアリーを巡る事情の変化

バルカン半島の農産物を巡るエピソードに対しては、パンデミック以前には、「何を甘いことを言っている。ビジネスはスケールが唯一の頼りだ」とドライなコメントがありました。しかし、各国が国境をまたぐことにさまざまな制限を設けるようになり、グローバル経済を支えていた長いサプライチェーンが最善のものではなくなりつつあります。外部の要因に影響を受けにくい、短いサプライチェーンが再評価される今、バルカン半島の農産物の行方は定かではありませんが、安易なスケール第一主義にのるリスクを勘案しているはずです。

長いサプライチェーンの見直しはラグジュアリー産業も同様です。生産国がアジアやアフリカにあり、アッセンブリーと品質管理が欧州の原産国とのシステムは現実的ではない。その観点からサプライチェーンの短縮化あるいはローカル化がテーマになります。ただ、この点は多くのメディアも報じていることです。

ここで更に注目したいのはカスタマーの方です。ラグジュアリー領域の最終消費財の消費者の3割以上は中国人で、大陸の中国人が自国で買う、あるいは海外に旅行に出て免税品として購入するとのパターンがパンデミック以前の姿でした。しかし、ご存知のように人が動けなくなった。それで今ある現象は、パンデミックを脱出した(かにみえる)中国市場のV字回復と、上述したようにオンライン販売の急伸です。

さて11月18日、イタリアの高級ブランド企業が加盟するアルタガンマ財団の年次定例報告会が開催されました。ここでベイン&カンパニーのミラノオフィスから世界の市場動向に関する発表があったのですが、いくつかのキーワードのうちの一つが「ローカル・コンシューマー」です。言うまでもなく中国市場のローカル・コンシューマーやオンラインにも注力するが、その他の地域の地元の人たち、すなわち欧州市場であれば欧州の人たちにどう店舗に足を運んでもらうかが大きなテーマになってきたのです。インバウンド需要を期待したビジネスは当分あり得ない、と。

前述したいずれのケースも、物理的移動を前提にしない社会のあり方(あるいは強さ)とのテーマが、予期しないタイミングで舞台の前面に躍り出てきたわけです。都市の小さなサイズのゾーンにせよ、ファッションストリートにせよ、地方の小さな村にせよ・・・当たり前ながら、サステナブルな社会を目指すなら、今さらながらにして大事なのは移動を必要としないローカルの人たちであると気づいたというわけです。

「ローカル・ケイパビリティ」という考え方の可能性

このようにローカルを巡る議論や関心の変遷をみていて、ぼくは「ローカル・ケイパビリティ」という考え方が有効ではないかと思っています(既に、こういう表現は存在するようですが、ここで使う意味とは違う文脈ではないかと思います)。ぼくの使う表現は、ソーシャル・イノベーションにデザインの考え方を持ち込んだ、この分野での世界的第一人者であるエツィオ・マンズィーニの「デザイン・ケイパビリティ」を踏まえ、こんな方向が適当では?と考えるものです。

マンズィーニはどのような人々にもデザインのケイパビリティがあると言います。上手い下手はあれど、誰でも歌を歌え、練習すれば合唱ができるようになる。デザインのケイパビリティはそれと同じだと話します。ここでいうデザインケイパビリティとは、自分の目の前にある状況を観察することによって、どのようなアセットがあるかを判断し、それらのなかで使えるもので取り出し、前進するための選択肢を編み出す潜在能力を指しています。今自分の生きているローカルの混沌とした状況においてこれが活用されることで、希望ある次なる世界が見えてくると強調するのです。

1945年生まれのマンズィーニは若き頃、1970年代にイタリアの精神病棟の廃絶に追い込んだ精神科医のフランコ・バザリアの運動に刺激を受けます。バザリアは、完璧な人間などどこにもいない。精神障害のあるなしで人を分けることができない。誰でも同じように生きるケイパビリティがあるはずだとの信念のもと、隔離された病棟から「患者」とされた人たちを解放し、ホテルやレストランで働き、歌を歌い、コミュニティのなかで生きる道を提示したのです(1978年、バザリア法と呼ばれる法律によって隔離された精神病棟が禁止)。マンズィーニは、その後、ノーベル経済学賞をとったアマルティア・センのケイパビリティ理論に出逢い、自らの理論を構築してきました。

ぼくは、こうした考え方をローカルという場や概念に対して適用できるのではなかろうかと考えています。ローカルもどこにも凹凸はあるが(だからオリジリティがある)、それぞれに明日を生き抜くケイパビリティとアセットがあります。そしてかつての伝統的なローカルと異なり、距離を問わない他のローカルとのつながりがあります(マンズィーニは、これを「コスモポリタン・ローカル」や「ハイパーローカル」と呼んでいます)。したがって、足りないアセットは他のローカルに助けを頼むことで、自らのアセットが生きます。

「小さなサイズ」「ローカル」「オープン」「繋がり」の4つの要素をマンズィーニはキーだとしていますが、これらの4つが切り開く未来はきっと楽しく力強いはずです。なにせグローバルに君臨する巨人の恐竜の如き振る舞いに右往左往しなくてよいのですから、無駄なエネルギーを消費することなく、サステナブルです。しかも、閉じた窮屈さがありません。

写真©Ken Anzai





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