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歴史をどう使うのか、とても共感を覚える。
長期投資における企業分析において、最も重視していることが「その企業の沿革を分析する」ことだ。起業家の志やその時の時代背景などに思いを馳せながら仮説を構築することはとてもおもしろい。

例えば、1920年代にアディダスを創ったアドルフ(アディ)・ダッサー、ルドルフ・ダッサー兄弟が、右傾化するドイツという時代背景の中でどのようにスポーツシューズブランドを創ったのか、オリンピックの果たした役割について考えてみるのも面白い。兄弟の亀裂が深まる中でアディダスとプーマに分かれて経営が混乱するが、そこにこそ米国でナイキが勃興できた背景があるのでは・・・など想像を掻き立てられる。
ナイキの創業、隆盛については、ナイキ創業者フィル・ナイトの自伝「Shoe Dog」が面白い。同書に克明に描かれる日商岩井の若い商社マン達の活躍などのサイドストーリーには1980年代の商社の姿が、目を瞑るとカラフルに目の前に現れる。

歴史は仮説構築に時間的な拡がりを与えてくれる。起こっている事実を過去に遡って具体的に検証することで、抽象的で普遍性の高い仮説を構築できる。

分析とは具体と抽象の絶え間ない往来だ。
磯田さんの仰る「思う量」とはその往来のエンジンとなる好奇心だ。
「多くの人々が「なぜ」を深く考えるようになった社会ほど、力強いものはありません。」

確かに、「なぜ」を考えるのを止めてしまえば、思考停止に陥って前に進まない社会になってしまいます。反対に、「なぜ」を日常的に考えることを習慣にする、というのは、手っ取り早く個人で始められる、実践的な第一歩なのでは。とりあえず、子供たちに「なんで?」「どうして?」と聞かれたら、すべてに答えられないまでも、せめて一緒に考える姿勢でありたいと思います。
経済学を学んだことで大企業の創業者に成れた人間などほとんどいないように、歴史を学んだことで大政治家に成れた人間もそう多くはいません。チンギス・ハーンも豊臣秀吉もリンカーンも、歴史の知識は同時代人の中で決して多い方ではありませんでした。
 化学式のとおりに合成すれば毎回同じ物質ができるような自然科学とは異なり、歴史には毎回応用可能な公式など存在しません。その意味では、歴史学の本には、全く異なるケースが並んでいるだけです。
 だからといって、何かハウツー本とか経営学の本に成功するための公式が必ずあるかというと、これもかなり危ういところです。
 「学びて思わざれば則ち罔し」といいますが、歴史は結局考えるための材料であって、答えそのものではありません。考えるきっかけをくれる材料、ともいえます。
 感染症対策の場合、過去の偉人となると、感染症の原因が微生物であるとつきとめたパスツールか、種痘法による予防接種を確立したジェンナーでしょう。だいたい19世紀ヨーロッパで、後に細菌学や免疫学の祖と呼ばれるような人たちです。当時、現場で駆け回って、データを集め、感染症の抑止に筋道をつけたのは、自然科学者です。女王でも皇帝でも首相でもありませんでした。
 ただ、医学者や生物学者たちの試行錯誤でも、現場で集めたデータは元より、過去の歴史的記録を渉猟してヒントを探そうとすることは繰り返されています。過去のデータを整理しておくのは歴史学の役割で、将来誰に使われるとも知れない、庶民の病気の大量の記録などでも、自然科学者が考えるヒントを提供する可能性があります。
 歴史学はこうやって、経済でも政治でも、その他の技術でも、真剣に考え続けようとする人間には、考えるヒントを提供します。
磯田先生が感染症の話を契機にして歴史とのつきあい方まで示唆する、本物の教養の香り漂う読み応えのある記事です。

・感染症は個人の病気ととらえられ、それは個人性/日常性/ 非視認性が強いために公の歴史記述からこぼれ落ちがち

・歴史はナマモノ。歴史からなにかを学びたいのであれば、課題をもって学びに行け

・偉人がどのように、なぜ、そのような行動をとるにいたったのかに思いをはせるプロセスこそ重要。WHYを考える訓練こそこれからは必須。

〇21世紀とそれ以前の「歴史の資料」の性格の違いの指摘も興味深い。

「現代は庶民が匿名で記録をどんどん生産公表する一方で、為政者が記録をますます生産せず、残さないし、公表しないようになっています。『記録される場』と『記録されない場』の逆転傾向が、21世紀半ばの状況としてみられます。」

これには、はっとさせられました。将来の歴史家は、私の書いた『記録』からなにを「思う」のか。そこまで考えさせられました。個人の日常に根ざしたできごとを意識的に記録していくことが、逆に後代に貴重な資料として役立つかもしれないとなれば、日々をより濃密に観察して、率直なところを記録しておくことが大きな意味をもつ。

そういえばスーツの誕生日が1666年10月18日とされているのも、サミュエル・ピープスというひとりの平凡な男のまめまめしい日記が基になっているのでした。個人の日記は、いつの時代にも歴史を形成する貴重な資
料になりえますね。
たまにご一緒させていただいてる『英雄たちの選択』の収録で実感するのは、歴史上の偉人達も、時には我々と同じような悩みを抱えており、失敗もしていることから、やはり同じ人間なんだということだ。一般論として歴史からピンポイントの教訓を学ぶよりは、歴史全体の流れを把握することが大事だと思う。また学校教育を通じて歴史そのものに関心を持つというのもやはり大事で、その重責を担っているのが教科書ということになる。なので通り一遍のことだけではなく、もっと子供の関心や想像力を焚きつけるような教科書があっても良いように思う。他方、歴史研究者も、偉人や政治家ばかりでなく、歴史の中に埋もれてはいるが、現代的視点から見て、重要な働きを成した人物や組織なりを掘り起こす努力をしていくべきだろう。
探究心はとても大切ですね。針を刺して血が滲むほど、しっかりと読書する。上辺だけをなぞっていることを反省しました。

セミナーを主催しているのですが、聴講者の中にはすぐに解を求める人がいます。今日のセミナーは自分の聞きたいことの解がなかったと、アンケートに書いてくる。ヒントは十分に提供しているのですが、個別企業の解を求めている。

読書によって、自分でしっかり考えるクセをつける必要がありそうです。
磯田先生の記事。とっても嬉しいです。
「個人的な出来事、プライベートで「日常性の高い出来事」は、歴史の記録には残りにくい」
なるほど。であればだからこそ、徒然草や万葉集など人々の日常や日々の暮らしを垣間見ることができる文学はとても貴重だと改めて感じます。

また歴史的に有名な武将でも台頭してくるまでの記録は少なく、またその妻も同じく記録が少なく分からないことがとても多いですよね。

「記録される場」と「記録されない場」の逆転傾向というお話も興味深いですね。記録に残すことで後世の人々とっても貴重な情報になりますし、記録することの重要性を感じます。

教科書の編者を勤めていらっしゃるという磯田先生。今後は生活史の部分を増やしていくと。これは楽しみですね。普通の人がどのような生活をしていたか、生活者目線で歴史を見るとより親近感が湧くように思います。
さすが吉田松陰。とんでもない教えを残しています。課題設定がなければ学びは少ない。
"1本1本の目線で刺すように読め、と。針で刺せば、じゅわっと血が浮いてきます。同じテキストを読んでも、読む人によって血の滲み方はまったく違います"
何が正解なのか、トレンドすらわからない場合には、Steve Jobsが言っていた
「Connecting the dots」を実践することが有効だと思います。

本の読み方も、人との会話も、あるラインにのったものではなく、なるべく、広範囲でランダムに散らすこと…それが大事です。

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
幕末の思想家、横井小楠の「読書とは『思う』ことである」という言葉は本当にかっこいいですね。1冊の本を読み流して、「読了」と悦に浸るのではなく、一行一行と格闘し、自らの思想を深めていく。忙しい現代人であっても、そのような姿勢を忘れないでいたいものです。
この連載について
「読書の秋」だ。本を読めば、自分の何かが変わるのでは……と期待したものの、結局何も身につかなかったという経験のある人は多いだろう。あなたの読書は何が間違っているのか? 本気で書物を血肉にする「エクストリーム読書術」を、賢人に伝授してもらった。