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この手の記事を雑誌で何度もやりました。興味深いのは、テキストそのものの解説よりも、こうした「読書術」のほうが反応が大きいことです。

速読とか深読みとか、そういうのはウケるんですが、「カントの純粋理性批判の現代的な意味」はウケません。「もっと読みたい、知識を得たい」というおおざっぱな動きはあるのですが、教科書的な細かい知への欲求はそうでもない。

これを繰り返すと疲れてしまって、「本なんか読まなくてもいい」となります。むりに読まなくてもいいと思います。少しずつ、自分のペースで、良書を読むのがいちばんです。他人の読書術は、どこまでの他人のものです。真似するのではなく、「読書術を楽しむ」というのが健全に思います。
本の読み方について様々な角度で言語化してくれています。一冊の本を精読することで一冊以上の学びがあるというのは本当にその通りですね。そういう意識で最近本を読めてなかったのですが、ちょうどそういう本に出会ったところだったので精読して学びを深めたいと思います!

‘’何が言いたいかというと、一つのテキストに見えるものでも、その中には無数の他のテキストが入っている。つまり、一つのテキストを深く読めば、結果的にとてもたくさんのテキストを読むことになるわけです。‘’
読書というのは人に教えてもらうほどのものではなく、自然に身に付いた自分なりの読み方が一番良いように思う。そして情報を得るだけならば、本よりもネットの方が遥かに効率的だし、余暇としてもネットの方が刺激的だ。恐らく何のための読書なのか考え、無理にならむしろ読まなくても良いような気もする。私は自然科学分野の本をよく読むが、これはネットの情報だけだと全然足りなくて、もっと知りたいという欲求から読んでいる気がする。。。
読書猿さん、ファンです。このあたりが特によいとおもいました。

『一つのテキストに見えるものでも、その中には無数の他のテキストが入っている。つまり、一つのテキストを深く読めば、結果的にとてもたくさんのテキストを読むことになるわけです。』

『その読みは、テキストの背後にあるいくつもの他のテキストに届く。読書では、テキストに近づくことは、同時に遠くを見ることなのです。』

ビジネスで出会うスライド一枚にも、もっと深く読む余地があるはず。もっと近づいて、背後にあるものに手が届くようになりたい。

“消化のすすめ”を熱心に説いたクラシックとして、
 ショーペンハウエル「思索」、「読書について」
 丸山真男「古典からどう学ぶか」
などもよいとおもいます。
何冊読んだかの冊数を積み上げることが大丈夫、という本を読む人が陥りがちな思考に待ったを掛けてくれています。キーワードを書き写しながらの読書は時間もそうですが、パワーもいるので1冊を読み終わるのが大変ですが、得るものが多いというのには納得。

結局、本の中で大事なのは2割という2:8の法則があるので、その2割にじっくり時間をかけよう、ということになりますね。
哲学的に読書をすることが大切ということですね。問題意識をもったとたん、それを知りたい、究明したいという欲求が生まれます。

身につける読書と、楽しむ読書の違いはありますが。
もの凄く共感する。ただ軽い本も巷に溢れているのも事実。軽い本は軽く読み、自分がその時に必要としている本は、ディープに読むのがいいかと。本との出会いを運任せにしないというのは、ちょっと響きました。
本、そして本を書いた著者と徹底的に格闘し、自らの見解を言語化する。大学、大学院で学ぶことのできた大きな財産の一つだと思っています。
核心部分をついた記事だと思います。

読書は、著者との仮想的な対話の場なので、ある意味、自分も相応のものを持っていないと、著者との対話が成り立たず、「読めども読めず」という状態になってしまうと思います。

(以下、記事中から引用)
本を読むということは、一方通行の行為ではありません。それこそ、自分が持っている知識をすべて差し出して、本に書いてある内容とぶつけ合う、双方向の行為です。

読書とは「双方向の行為」である。本の内容を「インプットしよう」と考えると失敗する。

※個人的な見解であり、所属する会社、組織とは全く関係ありません
なんとなく興味が湧いたので、意識することなくアマゾンでポチりました。
この連載について
「読書の秋」だ。本を読めば、自分の何かが変わるのでは……と期待したものの、結局何も身につかなかったという経験のある人は多いだろう。あなたの読書は何が間違っているのか? 本気で書物を血肉にする「エクストリーム読書術」を、賢人に伝授してもらった。