「小学校でのあだ名禁止」が引き起こす"いじめ"より深刻な大問題
コメント
注目のコメント
あだ名を無くすことでいじめは少なくできると思う。
小学校の時、謎に「ニペチン」というあだ名をつけられたことがあるが、本当に嫌だった。結局イジメに発展していった。地元の中学には進学したくないと思って、逃げるようにして他の地域の中学校に進学したほどだ。
自分で呼んでほしいあだ名を設定すれば良いが、ほとんどの場合はそうではない。
沼田先生は本当に素晴らしい先生だと思う。何事もルール化せずに、子どもたちとの対話の中であるべき学校の在り方を子ども達と一緒考えていける先生だ。
全員、沼田先生のような先生であれば素敵だと思う。でも現実は違う。アメリカでは学校の新年度が始まる前に提出する書類に、本名とは別に、呼び名を記入する欄があり、自分が好きな呼び名を記入できる。呼び名はなんでも良く、性別が違う名前でも良いし、毎年変えることが出来る。
知り合いの子は本名は理恵だが、英語表記のRieではリエとは読めないので、大好きなディズニーキャラクターのジャスミンという呼び名で学校に通っている。先生たちはその呼び名を使うので、自然とクラスメイトにそう呼ばれるようになるし、自分で選んだ呼び名なので、大変気に入っているようだ。
自分でどう呼ばれたいかは自分で決める、っていうちょっとした発想の転換でこの問題は解決できるのではないかと思う。色んな事を論じるのはいいけど、あだなについて大人が真剣に議論しなければならない社会ってなんだかなぁと。
本当は、どんなあだ名でもお互いに笑って、友情が育めたり、けんかしても仲直りできたりというのがいいのに。
この手の議論はいつも、「いいか」「わるいか」になってしまうのが、そういう世界からどんどん隔絶していく事につながっている様に思う。
校則で下着が白に限定だとか、と同じ原点のように思う。
多くの人が多様性を~と言ってるけど、多様性てそのまんま包容力、受容性なんだよね。
なのに、一方で「いい」「悪い」という受容範囲を設けようとする考えが跋扈している。
少なくとも社会人なら、矛盾していることに早く気づいて、穏やかに生きられる社会にしないとね。