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IQがどんなに高くても、EQが低くては、ダイバーシティ経営はできません。優れたスキルと個性を持つメンバーが、その能力をフルに発揮し、クリエイティブな仕事ができる環境を整えられるのは、マッチョなトップダウン型経営者よりも、サーバント・リーダーシップ型のリーダーなのではないでしょうか。

外から「ダイバーシティ経営か否か」を判断するには、その企業が行う社外向けイベントの登壇者を見ると良いでしょう。登壇者の顔写真にダイバーシティがまるで感じられないような企業は、まさしく「そういうこと」なのだと思います。

多様な人材を取り込み、それぞれが活躍できる環境を整えることができるリーダーが、もっと日本企業に増えてくれることを切に願っています。
多様性ほど誤解されている言葉もないだろう。南場さんの指摘通り、女性登用ではもちろん無い。それどころか、ジェンダーや国際性などの属性のダイバーシティは企業業績に無関連もしくは負の相関しかなく、業績と正の相関があるのはスキルや経験などの獲得された多様性であるというのが学術研究の結果の主流。この点においても日本企業の多様性の無さは際立っていて、例えば中途入社や出戻り組などへの冷淡な対応もそのひとつ。本当はダイバーシティの宝庫なのに。

また、ダイバーシティ、即ち「違う頭」で色々考えることで、発想は豊かになり、意思決定のリスクを減らして確度を高めることができる。ボードダイバーシティが大事と言われるのもそのため。

ダイバーシティで、皆思っているけれど意外に言われないのが、「面倒くさい」ということ。多様性は非効率を伴うというのも学術研究結果。そりゃ当然で、意思決定ひとつにしても右向け右というわけにはいかないし、話し合いの時間も増える。それをネガティブなものと捉えないで、前向きに引き受けてこそ経営者である。本気で面倒くさいなどと言っていたらただの怠惰。南場さんの域に達している経営者がどのくらいいるだろうか。
経営者にとってダイバーシティの本質は、異質な才能を多く取り込み、組織のパフォーマンスを最大化することのはずです」


本当にそう。同質性によることなく多様性に開かれた社会。女性というのはそのいろはのいで第一歩でしかない。女性でも男性社会の同質性に染まってしまった人材は意味がない。個性を潰さず育てた多様な人材。
組織に柔軟性を持たせるための人材登用とその個性を潰さず多様な議論ができる心理的安全性を持った組織がこれからますます重要になる。
書かれている内容、特に以下の2点については、私もずっとそう思っています。


「日本においてダイバーシティという言葉は、女性の登用という文脈だけで語られがちです。しかし経営者にとってダイバーシティの本質は、異質な才能を多く取り込み、組織のパフォーマンスを最大化すること」

これだけ価値観の多様化、世界の不確実性が高まる中で、単一の人材では対応出来る領域は限られてしまいます。
日本のマネジメント層は、世界で最もDiversityが低い(性別、国籍、年齢層、転職回数等)という結果があります。これは変えていかないといけない。


「初等教育がとりわけ重要です。異端の才能を伸ばし、自分の個性を肯定できるような子どもを育てていかなければいけない」

上記のような均一性・同質性が蔓延する大きな要因が、初期教育からの横並びや詰め込み式教育にあると思っています。国の教育制度を変える、というのは時間もかかりそうなので、民間レベルで外付け的に進めるオプションも想定するのかな、と思っています。

どちらも「仕組み」を変えるというレベルの話ではなく、日本の文化をどう変えていくのか、という話だと思っています(それを推進するために仕組みを活かすというのは有効。例えば欧米のクオーター制のように、取締役会の●%を女性や外国人にする等)。
ダイバーシティ・インクルージョンの実践のためには、「それをするとなぜ良いか? が腹落ちしない」と掛け声だけで終わってしまう。 日本の現状がそれ。
同調圧力をなくし他人と違う意見を言えることが第一歩。 活発でヘルシーなコンフリクトを経て、新しいアイディアが生まれてくる。
ジェンダーはダイバーシティの一部。
ダイバーシティにおいて女性登用の文脈だけで語られがちな状態自体が、日本が本当のダイバーシティ経営にどれだけ遠いかを露呈していると感じます。
私は幸いなことに個性を許容する教育を受けてきましたが、そこで育つと、自分の個性が許容されるだけでなく、色んな個性溢れる他人を見ても何も不自然や違和感を感じず、羨ましいとも感じるようになります。
自然に他人の個性も許容できるようになる教育が必要だと感じます。
ダイバーシティに必要な、自分と違うものも認め、尊重し、受け入れるという土壌が、やはり日本はまだまだ発展途上な気がします。また、他人と違うときに、「それが何か?」と言えるふてぶてしさを持てない人もたくさんいることでしょう。南場さんのようなリーダーが増えることで、もっともっと違う視点や意見を活用できる国になってほしいです。
ここ数年主にアメリカの大学では、DEI(diversity、 equity、 inclusion)(多様性、公平性、一体性=多様性の受け容れ)というキーワードで大学教員採用の際にステートメントを要求するようになってきた。DEIは今後の社会を形成する上で一つのキーワードになりそう。
南場さんの指摘に心から共感。
周りに同調ばかりのYesマン集めてもイノベーション生まれないよね。その根本は異端の才能を伸ばし、自分の個性を肯定できるような子どもを育てることにあり。

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「人材の流動化」を求めるのは、日本の大企業にダイバーシティ(多様性)が決定的に欠落しているからだと南場氏は指摘する。

「日本では『他人がやらないこと』に夢中になれる人材が、欧米諸国と比べ非常に少ない。日本の子どもは幼稚園からずっと、夢中になれることを一つ一つ手放していくような教育を施されています。例えば昆虫が好きなのに算数が苦手となると、『虫捕りなんてやめて算数の勉強をしなさい』と諭されて育てられる。こうして異端の才能の芽は摘まれてしまいます」

「オールラウンドな優等生」や「間違えない達人」が優秀とされがちな教育のOS(オペレーティングシステム)を根本から入れ替える必要性を唱える。

「初等教育がとりわけ重要です。異端の才能を伸ばし、自分の個性を肯定できるような子どもを育てていかなければいけない。いますぐ抜本改革のプロジェクトを立ち上げるべきだと思います」
あくまで女性かどうか、性別の観点はダイバーシティの要素の中の一つの観点でしかないため、本当の意味でのダイバーシティ経営に女性登用なのかどうかだけで語られてしまうことがないようにしたいですね。

我々はDXを推進し、人と人とを繋げ高付加価値の体験を、これまで気づき得なかった体験を実現するには、新しいイノベーション、そして個々が主体的に考える変革が必要です。
そういった時に同質の人だけで考えるのではなく、あらゆる角度からそんなアイデアや発想があったのかと取り込み、気づき、コラボレーションして融合するこの取り組みにおいてうまれるイノベーションがあります。
アンコンシャスバイアスをコンシャスに見える化する必要性を考えた時に、女性という観点だけでなくあらゆる多様性ある要素を取り込めているのか、しっかり考えていきたいと思います。