【証言】なぜ私は「任命拒否」に反論し続けるのか?
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立憲民主党の枝野氏は「違憲」と言ってますね。
松宮氏は「違法」は明らかだが違憲かどうかは微妙と言うスタンス。法律論一つとってもこんな有様で、冷静な指摘だとは到底思えない。
さらに言えば、
この話と、学術会議のはたして来た役割の話。
つまりは存在意義。
そして学問の自由への侵害。
もうみんな好き放題、言いたい放題な印象です。
大人ならちゃんと冷静な議論をしましょうよ。
どんな意見でも良いですけど、言った以上は事実と実態を以って証明してほしいですね。
事実に基づかない或いは実態を伴わない発言は話をややこしくしますし、自己利益の為と思われかねず、本人にとっても良いことではありません。
政府憎しでも良いですけど、こう言う時こそ冷静で無ければならないと思いますよ。
注目のコメント
違法かどうかでいったら、違法だと思います。国会が定めた法律のルールを、行政権の主体たる内閣が「解釈変更」などと称して、破っていくのは妥当ではないと思います。日本の司法は謙抑的なので、本件を司法で是正するのはきっと難しく、次の選挙で問われるということになるのだと思いますが、まあ、忘れられるんだろうなという気がします。
特集2日目は、任命拒否された1人である松宮孝明・立命館大学教授のインタビュー。18年に内閣府がまとめた内部文書では、憲法第15条1項を根拠に「首相に推薦どおりに会員を任命すべき義務があるとまでは言えない」としていますが、その見解のおかしさと危険性を指摘しています。
<こんなことを司法試験の答案に書くと、確実に落ちます。
憲法第15条1項は、あくまでも日本国の主権は国民にあって、公務員の選定と罷免は究極的には国民というものに基づくんだ、ということを確認した規定です。この国民を総理大臣に置き換えて解釈するという発想は、聞いたことがありません。>おそらく、一般の方々には馴染みがない話でしょうが、この内容は、戦後の憲法学を席巻した、いわゆる「東大憲法学」にもとづく話が垣間見えます。
(その結果、現在の憲法学がどのようなものかは、みなさんよくご存知でしょう)
特に、天皇の国事行為である内閣総理大臣の任命を形式的なものとしている点は、宮澤俊義のいわゆる「天皇ロボット説」に通じるものがあります。
そもそも(諸説ありますが)国家元首である天皇による内閣総理大臣の任命と、トップであるとはいえ行政機関の一部でしかない内閣総理大臣による公務員の任命とは同列にできるものではありません。
そのうえ、「天皇は、…国政に関する権能を有しない」(憲法第4条第1項)と明記されている点も、明らかに内閣総理大臣のそれとは異なるものです。
この点、天皇の政治的権威を利用して内閣から事実上独立して”暴走”した戦前の軍部(統帥権干犯問題)を想起させる、と言われたらどう反論するのでしょうか?
そして、肝心の任命権に関する裁量権の有無ですが、行政の行為には、裁量権の有無と程度・対象によって、ある程度の分類がなされています(あくまで古典的な行政学の分類ですが)。
裁量権の有る行為は大きく分けて自由裁量・法規裁量に分類され、さらに細かく分類されます。裁量権の無い行為は、覊束行為(きそくこうい)といいます。
人事に関する任命行為が、裁量権がまったく及ばない羈束行為と解釈するのは、相当に無理がある解釈であると思われます。その根拠は、(松宮氏は否定されていますが)憲法第15条第1項にあると考えます。
これらの行政裁量の細かな分類は、過去に行政の裁量権について裁判で争われ、判例が積み上がった結果によるものです。
松宮氏が法学者として、任命拒否が違法であるとお考えであれば、訴訟により法廷でその主張をされ、日本学術会議法の解釈を確定させるべきでしょう。これは、日本の行政学に対する貢献ともなります。
(裁判官の任命について言及しているあたり、早くも敗訴した際の準備をしているようにも受け取れますが…)
最後になりますが、ヒトラー率いるナチス政権を打倒した連合国のアメリカのルーズベルト(戦時中に死去していますが)やイギリスのチャーチルも、ともに選挙で選ばれた点を付言しておきます。