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【3分ニュース】三菱ジェット、開発費「95%減」の衝撃度

NewsPicks編集部
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  • 国内航空会社 気象予報士

    実は今でこそいいイメージで語られることの多い日本製旅客機であるYS-11ですが、これもFAAの型式証明が下りるかどうかでなかなか問題点をクリアできず、当時の日本社会では大変にこき下ろされました。また飛び始めてからも乗り心地が悪く、操縦についてもパイロットの負担が大きいとこれまた散々な評判で、しまいにはコスト管理の問題から赤字プロジェクトとなることが確定的となり、当時の通産省に引導を渡される形で日本航空機製造が解散するという経緯をたどりました。
    航空については、やはり米国では日常で自家用車感覚で乗るものであり、一部の金持ちの道楽というような扱いの日本とは雲泥の差と言えると思います。航空機製造メーカーのエンジニアといえば、毎日のように飛行機に乗って、ここの操縦についてはこうあるべきだ、というような意見を持っていて当たり前なのですが、日本ではそのような人はあまりいない、少なくとも多数派ではないでしょう。そのように航空が身近であるかどうかという点で、はるかに米国は裾野が広く、当初から米国で研究開発を進めたホンダジェットの判断は正しかったと言えるでしょう。

    ただし今回の失敗を三菱だけに押し付けるのはやや酷な話とも言え、このプロジェクトの音頭をとった国が、本当はFAAと同様の型式証明を審査して発行できる体制でなければおかしいのです。中国でも民間旅客機開発が進んでいますが、きちんと国がサポートしたうえで審査し、現在は中国内でしか通用しませんがきちんと型式証明を発行して実際に運航を始めています。当たり前ですが中国がいい加減な型式証明を発行したがために事故になったなどのニュースはありません。
    日本も、FAAにおんぶにだっこではなく、きちんと国が型式証明を発行できる体制になっていれば、設計上の問題点についてもう少し突っ込んだ議論ができ、機体の完成度も早い段階で高められたはずです。
    航空行政において、推進したい経済産業省と規制したい国土交通省できちんと意思疎通が図られているのか疑問に感じる場面が多々あります。改善を望みます。


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    株式会社 東芝 代表執行役社長 CEO

    私が新明和に入社した1990年には、
    新明和には、菊原博士がご存命であった。
    二式大艇や、紫電界を産み出した天才で
    三菱の堀越、川崎の土井、川西の菊原と
    言われていた。

    菊原博士は、戦後世界最高性能の飛行艇
    PS1を開発し、その後継機で有るUS-1も
    成功させた。

    90年当時は、既に御歳90を超えていたが、
    周りには60歳近辺の、YS-11にも参画した
    メンバーが多数残っていた。

    1996年頃、新明和は30年ぶりくらいに
    機体開発のプライムを取り、US-2の開発が
    始まる。

    私は、機体の形を決める、空力班に配属され
    機体の形状を3次元で定義する仕事を任された。
    ボーイングで学んだ技術であった。

    開発は混乱を極めた。余りにも長い間、
    機体開発が出来なかったからである。
    経験した、我々はあっという間に先輩達を
    追い抜いた。

    三菱重工の方々は、常に民間航空機再参入
    の話をしていた。悲願である。

    しかしYS-11のビジネス的失敗以来
    チャンスは巡って来なかった。

    国家プロジェクトを諦めて、独自開発を
    決断した時も、YS-11から30年くらい経過していた。
    ギリギリのタイミングだったのである。
    これを逃したら最早出来ない。

    現代の航空機は、順調なプロジェクトは見当たらない、
    ボーイングでも、エアバスでも、戦闘機も
    みなそうで有る。

    それだけ、要求は複雑で、ハードルは高く
    またなかなか、経験出来ないので有る。

    批判する事は簡単である。しかし行き過ぎた批判は、
    次のチャレンジの芽を摘んでしまう事を
    忘れるべきで無い。


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    東京大学 大学院工学系研究科 航空宇宙工学専攻 教授

    5, 6年前,伊勢神宮に行ったのですが,伊勢神宮は良く知られているように,1300年にわたって20年に一度,式年遷宮と言って,社殿を更新を更新し続けています.なぜそのようなことを続けてきたのか,よく言われる理由が技術の伝承です.20年はちょうど一世代で,これ以上,間隔があくと,社の新築や修繕ができる人がいなくなってしまう.
    旅客機の設計開発そして民間旅客機としての認証取得には過去の経験の有無が大きい.式年遷宮と同じで,最長20年に一度はこうした作業を先輩エンジニアから後輩に伝承していかないといけない.
    1945年の敗戦から,7年後のサンフランシスコ講和条約までの航空禁止を経て,1964年のYS-11の型式証明取得まで19年が経っていました.堀越二郎のような戦前のスーパー・エンジニアは晩年のぎりぎりのタイミングで技術の伝承ができたのでした.しかし,そこで途絶えてしまった...日本製品は当時と比較にならないほど高いポテンシャルとブランド力を持ちながら,旅客機に関しては主体的な開発を一切行ってこなかった.
    いまできているSPACE JET M90は型式証明の取得作業を継続するとのことですが,これは当然のことです.型式証明を取得するのは三菱重工という民間企業ですが,審査して授与するのは日本国という国で,国としても旅客機を丸々一機審査することを伝承しないといけない.逆に,型式審査を続けるということは,まだ伝承をあきらめていないということ.
    今すぐにでも次の開発を始めないといけない.現在の経験を次の世代に繋ぐためでもあるし,コロナ後の小型機市場の拡大を取りこぼすことになります.
    https://newspicks.com/news/4661801/body/?ref=user_2112738


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