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一応県内の名門校で指導してますが、彼らに合わせたレベルの指導をしているだけなので、その指導に汎用性があるとはそもそも思ってないですけどね。

ただ、例えば同じ偏差値65でも、「皆東大目指すから僕も」なのか、「誰も東大なんて言わないから僕も」となるのかの違いは確実にあります。

子供の可能性を最大化したいなら、やはりレベルの高い環境に入れた方がよいです。


で「誰に話を聞くべきか」ですが、結局は「誰の話なら聞いてもらえるか」という想定が書き手に働く以上、この方の言われているようにはならないというのが実情かと。

教育論を聞きたいと思う教育熱のある保護者はたいてい高学歴なので、そんな人たちが例えば地方公立中学校の先生の話を聞きたいと思いますかね?

「教員の社会的地位の低さ」というファクターを加えないと、ただの綺麗事で終わってしまいます。
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興味深い投稿ですが、アメリカは偏差値で学校の良し悪しが決まるわけでは無いので、そもそも名門校の定義がどうなのかという疑問があります(原著の論文を読めばわかるのだと思いますが)。また数学といった教科の学力以外の部分が伝統校や名門校は充実していることが多いので単純に比較して学力に関してのコスト効率や良し悪しと杓子定規に判断するのは乱暴なのではと思います。

保護者が特定の学校に子どもを入れたがる理由はアカデミックな面だけではなく、宗教、安全面、スポーツなど様々な要因があり、一定地域で名門校と言われる学校の中でも教育的アプローチは学校によりかなり異なります。周りにも"名門校"に通わせているご両親と公立に通わせているご両親いますが、家庭のサポート次第ではどの様な学校でも学力を高めることができるというのは、インターネット時代にはその通りだと思いますが、それだけに、学びの場を選ぶ尺度というのは多様化しているともいえます。
論文を振りかざさない、謙虚で適切な解説が好みです。こういう解説記事、もっと色々な社会科学の分野で出てきてほしい。
良記事。学力で差はつかないが年収では差がつくって、アルムニネットワークだけじゃなくブランド力とかもありそう。
それと教育が力を発揮するのは主に底上げなのかも。一方で、トップ層の場合、そもそもテストとかの指標で測れない興味の拡大的なことで教育機関が力を発揮している可能性もあるかと。
"東大ギリギリ層の私が、読みづらい日本語の記事を書きながら、10年以上もアジア・アフリカ・アメリカをフラフラし続けた末に、35歳になってもまだ博士課程の学生をしている一方で、楽々層だと思われる大学の同級生たちは、日本の名の知れた企業・官庁・大学の正社員として日本経済を支えていることを考えれば、名門校の教育はギリギリ層にだけ意味がなくて、楽々層には意味があるというのは、私の存在が体現しているような感じもしないこともない。"

ちょいちょい挟んでくる自虐とも取れる内容。

"もう一つは、名門校はそもそも学力向上を目的としていない可能性である。冒頭に紹介した過去の記事の中で、米国のエリート教育の正体とは、富裕層の子供たちに、自分たちが成功するのは親の資産のお陰ではなく、自分たちの努力のお陰であると、洗脳することだと看破した本を紹介したが、正にそれである。"

なるほど、それはありそうな話。

"非名門校が進学実績を残すために学力向上に汲々とする一方で、米国的洗脳教育や、社会に出てから富裕層の子供たち同士で助け合い社会的成功を収められるようなコネの教育機会を通じた構築を、名門校に子供を通わせる保護者が求められているのであれば、インドの論文のように、学力に差は出ないが、賃金には差が出るという結果も理解が容易となる。"

そもそも名門校に学力向上効果を求めるという前提自体が間違っている様な気がする。
面白い記事でした。言外に、「私に聞きに来い」的な空気を感じましたが。

人はわかりやすい実績を伴うブランドで、話を聞きたがるので、なかなかC校の話は出てきにくい。「偏差値48でしょ」とディスられるので。みんな東大理三が3人のほうが好きだし。メディア側の見せ方かな、とも思います。
そうそう。名門校の教育が素晴らしいなら、別に選抜する必要がない。適者生存。
結局どこの学校の校長講話を聞きに行けばいいんでしょうかね?